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日々巡り会ったものの感想・レビュー

月別: 2007年9月 (page 2 of 2)

G.H.ハーディ – ある数学者の生涯と弁明

ある数学者の生涯と弁明を読んだ。

イギリスの数学者ハーディが自身の数学観を述べたエッセイ。
数学者らしく、あるいはハーディらしく、率直かつ簡潔な文章でまとめられている。
第二部として、C.P.スノーによる「ハーディの思い出」も収録されている。

興味深い話が凝縮されているが、中でも面白いのは、
数学を実在論的な見方でとらえていることだ。

確かに、1920年代に量子力学の基礎が成立してからは、
実在する物体の基本が、直感的にはつかみどころの無いものになってしまった。

それに対する数学について、ハーディは言う。

「317」は素数であるのは私たちがそう思うからでも、
私たちの心が何らかの形でそう思うようにできているからでもなくて、
それがそうだからそうなのであり、
数学的実在がそのようにできているからである。

数学は論理の積み重ねであるから、
その意味で、吟味すればするほど、はっきりと見えてくるものであり、
その存在に確信を持てるものなのだろう。

もう一つ、面白いのは、数学に有用性があるかどうかという話。
要するに、加減剰余ができれば実生活で困らないじゃん、という話なのだが、
その意味で、確かに高度な数学というのは全く有用性が無いと言う。

では、このような数学にどのような意味があるのか。

高度で純粋な数学者は、一種の芸術家である。
他の分野の芸術と同様に、創造性が求められる。

数学の歴史は、創造の歴史でもある。

数学者は、自分から創造性が失われることをはっきりと自覚でき、
それを二度と手にすることができないことを悟る点で、
悲劇的である。

そして、その瞬間は、

思いのほか早くやってくる。
それは悲しむべきことであるが、もしそうなれば、彼はどのみち重要でなくなるし、彼のことを心配することは愚かなことである。

高度な数学は、創造物という点で、
絵画や音楽、その他の芸術と同様に価値がある。

他のいかなる芸術家の仕事の価値と種類において変わらず、ただその程度において異なる価値である。

直接、人々の幸福に関わるような有用性は無いかもしれないが、
価値を創出するという点において、数学は無意味なものではない。

オススメ度★★★

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サイモン・シン – フェルマーの最終定理

神林長平 – 死して咲く花、実のある夢

死して咲く花、実のある夢を読んだ。

この世には二種類の人間がいる。
死んでいることに気づいている者と、そうでない人間の二種類。

量子力学的解釈と、仏教思想を融合し、
人間の生と死、意識の問題について思索したSF長編。

量子力学ネタがあると気づく後半までは、ちょっと退屈な展開だった。
今見てる夢が夢で無い証拠は…、みたいな、
夢オチがちらついて疑心暗鬼になりつつも、
ネタに気づいてからはラストまで一気に読めた。

ただ中盤ぼーっと読んでたので、
作者の考えがしっかりつかめてないような気もする…

とりあえず、量子力学にまつわるエピソードの一つ、
「シュレーディンガーの猫」は知ってから読んだほうが面白い。

一応ここでも、シュレーディンガーの猫の話を超簡単に書いてみる。
ただし、かなり歪曲されているので、気になる人はググるか、
量子力学の雑学本でも読んでみるといいと思う。

シュレーディンガーの猫というのは、実験のことである。
ただし、頭の中だけで行う実験で、実際に行われたわけではない。

・予備知識
1.素粒子レベルの極微の世界では、量子というものが存在する。
2.量子は観測して初めて、1つの粒子として存在することが確認される。
3.観測するまでは粒子ではなく、単に「粒子が存在する確率」である。
これは粒子が飛び回っているとか、霧のようになっているという意味ではなく、
粒子の存在そのものがもやっと広がっているイメージ。
これは日常のものでは例えられない概念なので、そういうものだと思うこと。

・実験道具
1.毒ガス噴射機能付きの中が見えない箱
2.猫

重要なのは、この箱。
実は、1つの粒子の状態次第で毒ガスが噴射されるのである。

ところが粒子は、観測されるまでは量子であり、存在の確率でしかない。
つまり、箱を開けて観測し、結果を確定するまでは、
毒ガスが噴射された状態と、されてない状態が同時に成り立っていることになる。

さて、そんな箱の中に猫を入れて一時間。
今、猫は生きているのか死んでいるのか…
いや、正確に言えば、生きてもいるし、死んでもいるのである。

本作では、そんな「箱の中」を描写したような内容になっている。
もちろん、クライマックスは箱を開けて観測するシーンである。

以下、ネタバレ。

「結果」は観察者によるのでなく、
自らの意識・意思によって収縮させることができるとし、
「箱の中」にいた三人は、
一人は死を悟って彼岸へ行き、
一人は生を確信して現世に戻り、
一人は迷いを以って生まれ変わって現世に戻る。

という結果が観測されるに至る。

秋月が箱、
三人が猫、
マタタビ装置が毒薬の機械、
オットーが引き金となる粒子(量子)、と考えると結構つじつまが合うかもしれない。

しかしまあ今回は、神林氏のお話に付き合ってみた、という感じだなぁ。
あまり具体的な物理学をネタにしたのはあまり好きじゃない。
嘘っぽくなるというか、本当に無邪気な想像になるから。

ただ、僕にとって本書は、
「自分の思想を自分の型で表現する」のがどういうことか、
というのが分かる一冊だった。

人間というのはそのように世界を解釈したり想像する能力があって
あとがき

(あらゆる意味で)世界を解釈する、というのが表現のための第一歩なんだろうと思う。

オススメ度★★★

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時をかける少女

インフェルト – ガロアの生涯

それは明白なことじゃないでしょうか?

彼にとって、全ては明白であったに違いない。

サイモン・シンのフェルマーの最終定理で登場した数学者で、
もっとも興味を惹かれた人物、エヴァリスト・ガロアの伝記。

15歳で数学に出会い、20歳の若さで死に至る5年の間で、
数学史に名を残す業績をあげた人物である。

もっとも、彼の生涯は共和主義者としての生涯でもあり、
最期の決闘も、その政治的活動が原因であったとされる。

恐らく、端正な肖像画からは想像できないほどの
憎悪と苦悩のうちに生涯を終えたのであろう。

本書は伝記であるから、数学的な内容はそれほど多くなく、
主に、1830年ごろのフランスの様子を背景にガロアの活動と心情を描いている。
ガロアが若くして亡くなったこともあり、また生前数学者として認められることも無かったため、
信頼できる資料は少ないが、一つの人生を想像するに十分な内容となっている。

ガロアは人生を性急に歩みすぎた。
ほとんど唯一の理解者であった父を亡くしてから、
彼は自分を理解してくれる人を探していた。

そして、誰かに認められたかったのだろう。

そのことが彼の明晰で論理的な頭脳をして、彼を極端な行動に駆り立てた。
その結果、共和主義者としては、危険人物とされ、
数学者としては、狂人だと思われるに至った。

最高学府の理工科学校入学試験には二度落第し、
三度提出した数学論文は全て受け付けられなかった。
いずれも、ガロアの才能を見抜けなかった人々が下した結果だった。

政治犯として、投獄されたガロアは友人に語る。

ねえ、ぼくに何が欠けているか、わかりますか?
貴方にだけ打ち明けるんです。
それは、ぼくが、全身全霊で愛せる人なんです。

彼は、自分が愛し、そして愛される人を求めていた。
もし、そのような人がいたら、
彼の心の支えとなって、より偉大な数学者への道が開けたかもしれない。

そんな時に現れたエーヴ(ステファニー・ドゥモーテル)は、
彼にとって唯一の期待となっただろう。

しかし、彼女のためにガロアは死へ導かれることとなる。
エーヴには恋人がいたにも関わらず、ガロアが誘惑したというかどで、
恋人から決闘を申し込まれたのだ。

これは政治的危険人物とみなされたガロアに仕掛けられた罠であった。

いかがわしい浮気女の犠牲となって小生は死ぬ。
みじめなる一片の誹謗のなかに、わが人生は消えてゆく。

決闘までの13時間、ガロアはその頭に蓄積された数学の成果を遺すことに費やした。

2~3年分の思索を13時間でまとめなければならない。

証明が不完全であることを知りながら、
要となる概略を書き続ける。

ガロアが遺した原稿には今もその記述が残る。

もう時間がない

この時遺された原稿は、数少ない友人シュヴァリエや、
弟アルフレッドによって数学者たちに広められた。
それでも数学者たちがガロアの業績に気づくのにはさらに時間を要した。

しかし、死の当時、一介の共和主義者だったガロアは、
今日、群論の祖たる大数学者として知られている。

20世紀から現在の主要な数学・物理学の根底には
ガロア理論が生きているのである。

オススメ度★★★

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サイモン・シン – フェルマーの最終定理

夏目漱石 – 夢十夜

夢十夜を読んだ。

他、『文鳥』と、『永日小品』が収められている。いずれも、短編。
日常の一片を切り出した作品が魅力的。

自分は何処へ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事が出来ずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。
夢十夜 第七夜

このあたりの表現は、さすがに目を上げて考えさせる力があるが、
漱石くらいにもなると、ちょっと平凡な気もした。
それよりは、以下のような文が面白いと思った。

幾何の説明をやる時に、どうしても一所になるべき線が、一所にならないで困ったことがある。
ところが込み入った図を、太い線で書いているうちに、その線が二つ、黒板の上で重なり合って一所になってくれたのは嬉しかった。
永日小品 変化

なんだかこっちまで嬉しくなってしまう。

オススメ度★★★

サイモン・シン – フェルマーの最終定理

フェルマーの最終定理を読んだ。

常々読みたいと思っていたのを、近くの図書館で見つけたので、ついに読めた。

本書はフェルマーの最終定理にまつわる数学史のドラマをつづったものである。

まずサイモン・シンの構成力、説得力には驚愕する。
これは単に数学に興味ある人だけの本ではない。
ロマンを求める全ての人にオススメできる。
涙がにじむほどの感激で、証明の瞬間を迎えるだろう。

大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。(略)
その問題以外のことを考えてはいけない。
ただそれだけ考えるのです。それから集中を解く。
すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。
そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです。
– アンドリュー・ワイルズ

さて、問題のフェルマーの最終定理とは、以下のようなものだ。

xn+yn=zn
この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない。

よく知られたピタゴラスの定理は、nが2の時、つまり、
x2+y2=z2
である。(解の例:x=3、y=4、z=5)

ところが、このnが3以上になると解は無いというのである。

問題の意味は誰でも分かる。
しかし、これが証明されるまでに358年を費やしたのだ。

フェルマーは言った。

私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない。

そして、記すことの無いまま、世を去った。

これがどのようにして証明されたかは当然、本書を読んでいただきたいと思うが、
一応覚書として、背理法による証明の概略だけメモしておく。

・フェルマーの最終定理が間違いで、少なくとも一つの解が存在すると仮定する。
・解を持つとすると、この方程式は楕円方程式へ変換できる。
・谷村-志村予想により、全ての楕円方程式は、モジュラーでなければならない。
・しかるに、変換した方程式は、楕円方程式であるにも関わらずモジュラーでない。
・よって、フェルマーの最終定理に解が存在するという仮定は誤りであり、解が存在しないことが証明された。

また、本書を読んで、
あらゆる学問の中で最も美しいのはやはり数学かもしれないと思えた。

証明は、一分の隙も無いという意味で完全であり、絶対である。
つまりイデア的な美しさを目の前にできるのだ。

世の中に、「完全」とか「絶対」というのはそう多くない。

例えば、手に持ったボールを離したら、地面に落ちていく。
それは確かだし、恐らく地球上でその反例を見た者はいない。
ところが、それを証明するすべが無い。
「絶対に落ちる」とは言えない。

宇宙船で生まれ育った人に、
「ボールを離したら、地面に落ちていく」
ことを理解してもらえるだろうか。

数学は理解してもらえるのである。

疑問の余地が一切無い「証明」という行為ができるのは
ただ数学だけであるという点で、数学は美しいのである。

「不滅」とは愚かしい言葉かもしれないが、それが意味するものになる可能性は、たぶん数学者がいちばん高い。
G・H・ハーディ

唯一の疑問は、フェルマーが当時の数学テクニックでこの定理を証明できていたのか、ということ。
もちろんフェルマーの頭の中だけのテクニックもあったかもしれないが、
証明できていたとすれば、ワイルズのそれよりも、
もっとエレガントな解法だったりするのではないかと思ったりもする。

オススメ度★★★★★

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