しろログ

日々巡り会ったものの感想・レビュー

月別: 2007年7月 (page 2 of 4)

時をかける少女

たぶん実写版のどれかは見てるんだけど、
今日、テレビでアニメをやってたので見た。

いいじゃんー。
まあ、話題になってたころから、よさげだなと思ってたけど、予想通り。
耳をすませばに似た雰囲気あるけど、もう少しノリがよくなった感じ。

舞台となる真夏の東京を表現するのは「もののけ姫」「火垂るの墓」など、多くのスタジオジブリ作品の美術監督を務めた山本二三。アニメーションとして最高レベルの美術が本作を支えます。

そうかー!それでなのかー!
どうりで。

最初のリープ時のピアノ、ゴルトベルク変奏曲(バッハ)にもやられた。
原作ではショパンのポロネーズらしい。
それもいいなぁ。

後は8割方青春映画として楽しんでしまった。
青春時代って、あんなふうに消費されるよね・・

ラストの真琴と千昭のシーンは
「そんな別れ方するために戻ったんじゃないだろ!」
みたいな所で終わっても味があったかも。
・・そういう話じゃないか。

千昭が戻ってきてくれる・・
そういうプラスワンシーンが人生にもあると良いのだが。

そういや、作中にシュレーディンガーの猫がいなかったかな。
どっかのワンカットで一瞬ネコが映った時、即座にシュレ猫!?と思った。
猫が箱の中にいて、ビンみたいのもあった気がした。
話が話だけにありうるし。

今回の時間軸は、過去の時間に過去の自分がいる、という同一線上のものでなくて、
その時間から再度時間が進み始める多次元世界だったなぁ、と。

(以下、個人的な備忘録)

それにしても、シュレ猫なんて誰が言い出したんだ・・
と思いつつ、ググッて復習することにした。

「シュレディンガーの猫の核心」が核心をついていない理由

1年くらい前の記事だけど、今読んだら結構すっきりした。

量子は量子でいいんだね。
粒子と波を基本にして量子を考えていたから曖昧になったのかも。
とにかくミクロでは量子、と。

で、我々の存在は、記事中で言う存在蓋然性が極めて高いだけであって、
100%の存在を保証するものは何も無い。

この考えはしっくり来るな。

個人的には、時間的な持続性みたいのものが不思議だったりする。
極端な話、なぜ、昨日家族だった人が、今日も家族でいられるのか、とか。
(政治的な問題じゃないよ)

人でなくても、昨日ここに置いたものが、なぜ今日もあるのか、とか。

そういうものが全部、必ずしもあるわけではない、
単にマクロで観測しているために、一瞬一瞬、
極限まで高い濃度で存在が確定しているに過ぎないんだ、
ということが分かって安心した。

三島由紀夫 – 潮騒

潮騒を読んだ。

一文あらすじ・・
もの静かだが、正直で気力にあふれた漁師の新治が
最近村に戻ってきた初江と恋に落ち、
障害を乗り越え、ついには公認で婚約する。

スンダールの赤と黒を読んだばかりだったので、
その勢いで読み始めたら、妙に陳腐だった。

解説を見ると、
「この作品は『赤と黒』のように読んではいけない」
と書いてある。(なんだこのタイムリーさは・・)

つまり、本作は小説ではなく物語だ、というのだ。
その視点から見ると、作品が色づき始める。生き生きとしてくる。

少年が出会い、恋し、悩み、働き、そして知る。

そういう物語だったのだ。

赤ずきんは物語であって小説ではない。
そういう素朴な力強さを感じる。

照吉は語気を強めた。
「男は気力や。気力があればええのや。

オススメ度★★★

関連記事:
スタンダール – 赤と黒
三島由紀夫 – 金閣寺

スタンダール – 赤と黒

赤と黒を読んだ。
復古王政を批判した内容だが、出版前に七月革命が起きてしまったらしい。

単なる恋愛小説ではないので、
よりよく理解するにはさらに勉強する必要があるだろうが、
やはり物語としてはジュリアンの野望と情熱に熱いものがあるので、
まずはそこに注目。

一文あらすじ・・・
野心に燃える材木商の息子ジュリアンが、
低い身分ながら、高い才知を以って上流社会へ入り、
レーナル夫人とマチルド嬢という二人の高貴な婦人と関係を持つも、
レーナル夫人の手紙を引き金に、最後は処刑されるお話。

後に発表されるパルムの僧院では、
理性を駆使した公爵夫人と、本能の赴くままのファブリス、という対比だったが、
ジュリアンの場合、二人の婦人に対してその対比をなしているような気がする。

レーナル夫人対しては、自然に出る感情、
マチルドに対しては相手の心理を探り合う理性的な感情。

特に中盤以降のマチルド攻略(!)は圧巻。
いかに相手の上に立って支配するかという心理戦にも近い
交流が心地よいスピード感で表現される。

マチルドは「自分が愛されていないのではないか」という気持ちでいなければ、
相手を愛せない、という恵まれすぎた環境ゆえの複雑な感情を持っている。

もし、相手が自分に夢中になっていると知れば、
たちどころに相手を下に置いて軽蔑してしまうのである。

当然、ジュリアンもそれを知っているし、
知っているからこそマチルドの愛を勝ち得ることができた。

しかし、この戦略的で理性的な計算の上に成り立った愛は、
「死」という本能に働きかける現象の前では
ただわずらわしいものでしかなかった。

ジュリアンがその死に際して最も欲したのは、
野心と名誉の行き着く先でもなく、才知で得たマチルドでもなく、
その感情が求めるレーナル夫人だった。

かげろうは夏の暑いさかりに朝の九時に生れて、夕方の五時には死んでしまう。どうして夜という言葉が理解できよう?

オススメ度★★★★

関連記事:
スタンダール – パルムの僧院
アベ・プレヴォ – マノン・レスコー

オーシャンまなぶ

マンガ『オーシャンまなぶ』 ◎第一話◎

「言葉の暴力」を具現化するとてもクオリティの高い漫画。
カイジとか、心理戦モノが好きな人にオススメ。

第一話が2006年の3月発表で、第九話が2007年7月。まだ未完。

続きが気になる・・

関連記事:
2k 庭付き 幽霊憑き
漫画とか

トラスティベルシナリオの検証と考察

※ネタバレあり。

先日クリアしたトラスティベルの何が良くなかったか考えてみる。

最初に言っておくと、映像と音楽、それを支える技術力は最高だ。
ブーニン氏のショパンを5.1ch非圧縮で録音している点も見逃せない。

というわけで唯一にして最大の難点、シナリオについて考える。

■現実世界(現代日本)へのメッセージを語るキャラ

キャラのセリフがあからさまにプレイヤーの世界へ言及している。
プレイヤーにはゲームの世界へ入り込んでもらわないといけないハズなのに
逆に現実へ突き戻している。

ゲーム中だけでは物足りなかったらしく、
エンディングではキャラが総出でプレイヤーを問い詰める。
小一時間問い詰められる。

オープニングであれだけ引きずり込んでおいて
エンディングで突き返すとは恐れ入る。

ファンタジーの魅力は、本質をそのままに、
表層(現象)だけを変えていることにあると思う。

本質的に現実世界とリンクしていれば、
後はその世界観を徹底して完結させれば良い。

そのリンクを発見するのはプレイヤーの役割であり目的だ。

プレイヤーは、その世界での本質を現実世界にも発見し、
あるいは現実世界の本質をゲームの世界に発見して感動する。

その中のキャラが、自分の世界を突き破って、
こちらの世界に言及してくる時点で、相当プレイヤーを愚弄している。
ファンタジーの意義は消滅し、プレイヤーの目的は奪われる。

目的が無くなったゲームほど退屈なものは無い。
終盤にかけて明らかに退屈になったのはそのせいだろう。

本作ディレクターであるトライクレッシェンドの初芝弘也氏は

中学生くらいまでは全く意味がわからないかもしれません(笑)。でも、聞いたときは難しくても、大人になれば分かる……というのはあると思うんです。小さくても雰囲気は分かると思いますし。わたしも子供のころ、何も分かってはいませんでしたが「ガンダムの世界はかっこいいな」と思ったり(笑)。
ITmedia

と語る。

ガンダムがかっこいいのは、ガンダムがガンダムの世界で完結しているからだ。
シャアは決して視聴者に呼びかけない。
どのキャラも徹底してガンダムの世界で生きている。
だから視聴者はガンダムの世界を信じる。

そして、そのガンダムの世界でのセリフが、
実は我々の世界でも使えることを発見して「かっこいい」と思うのだ。

トラスティベルのキャラはプレイヤーに話しかけることで
結局、自分達の行為はお芝居だったということをプレイヤーに暴露する。

ディズニーランドから帰ろうとしたら
キャラが着ぐるみ脱いで手を振ってるようなものだ。

にわかにトラスティベルの世界が信じられなくなる。
キャラのセリフは、全てが嘘っぽく思える。

■道具的にキャストされるキャラ

キャラを増やすと、それぞれの人生背景から手軽にストーリーを取り出すことができる反面、
必然性がなくなり、「とってつけた」感が強くなる。
各キャラに合った話をしないといけないので、話題も散漫になる。

それでいてキャラを印象付けるために
いきなり重そうな発言するから、プレイヤーはついていけない。

そのキャラに十分付き合って、苦楽を共にした後で初めて響くようなセリフが
ぽんぽん出てくるので、興ざめしてしまうのだ。

表層の事象で説明しようとするから、沢山のキャラが必要になってしまう。
本質を突き詰めれば、そんなに沢山のキャラは必要ない。

光のアレグレット、闇のポルカ、
その光と闇に照らされて深みを与えられるショパン、
それで十分だったのではないか。

スパイスとしてパーティに加えるなら、
ビート、サルサ、ビオラくらいか・・
その他は登場はさせてもパーティには不要だと思った。

■漠然としたテーマ

いろいろメッセージを発している割に何が言いたかったのか分からない。
人生の意義?勇気?正義?

このままでいいのか、行動しろ、みたいなことだった気がするが、
ポルカが自ら命を犠牲にするというのはいかがなものか。
一歩後ろに下がる勇気ってちょっと違うだろ、みたいな・・

最悪なのは、それでショパンが生き返ったり、
最終的にポルカも戻ってきたりすること。

今、青少年に最も悪影響与えてるのってそういうところなのでは?

いや、ショパンは現実で死んで夢で生き返ったんだよとか、
ポルカは落ちてるだけだったでしょ、
などというのはファンタジーを借りたごまかしでしかない。

ショパンとポルカは死んだ。
しかし、不思議な力で生き返った。
それがエンディング中の数分間で起こる。

さらに隠しダンジョンでも死んだはずのキャラが現れ、
みんなで頑張れば生き返る、みたいな展開になる。

命はこんなに軽く扱うものではない。
あれだけ社会的なメッセージを発信し続けた後で
何故こんな重大なことが見逃されるのか不思議でならない。

■結論

伝えたいメッセージはあるのだろうが、
「物語」にまで昇華されていなかった、というのが一番の印象。

内容以前の問題だなぁ・・

関連記事:
Trusty Bell トラスティベル ~ショパンの夢~

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