日々巡り会ったものの感想・レビュー

月: 2007年3月 (Page 2 of 2)

XAMPPインストールとエラー対処

ローカルマシンにApache、MySQL、PHP環境を同時にセットアップできるXAMPP。
各ソフトを一つずつ入れてもいいのですが、
日本語環境設定とか結構面倒ですよね。

XAMPPは一通りの最新環境を簡単に入れられます。

ダウンロードページはこちら

「インストーラ」版がオススメです。

で、指示に従って入れるだけ。
目出度く終了したら、OK。

が、僕の場合は2つのエラー。ApacheとMySQLが起動しない・・(全然意味無い)

1.Apacheが起動しない
結論から言うと、80番ポートが空いてませんでした。
スカイプ入れていたので、スカイプはどのポート使っているんだろうと思って調べると、

はじめに、多くのファイアウォールが開けている宛先ポート番号を指定してスーパーノード経由の通話を試みます。具体的には、80番(HTTP)や443番(SSL)を使います。

Skypeはファイアウォールをどのように通過しているのか?

まさか80を使うとは・・ついでに443も・・

とりあえず、Apacheのデフォルトを8080にし、
SSL関連はひとまずコメントアウトで解決。
(もちろんスカイプを80番以外で使うことも可能です)

2.MySQLが起動しない
MySQLの起動中にエラーが発生しました。[-1]
というメッセージ。

どうやら、過去にMySQL入れてたりすると、
それが「サービス」として残っていることがあり、
競合してダメらしい。対処方法はこちら参照

とりあえず、コマンドラインから
xampp/mysql/bin/mysql –remove
とやって解決。

その他、PHPの4と5を切り替える時は、
xampp/php-switch.bat
を実行。4を選択すれば4になり、その後5に戻したい時は、再度実行すればOK。

その他Tips。
単純にApacheの設定ですが、ローカルでいくつもサイト作る場合は、
ポートベースのバーチャルホストを立てるのが便利。

Apacheのhttp.confの下のほうに
Include conf/vhosts/*.conf
と書いておいて、
conf/vhosts/以下にfoobar.com.conf
などのファイルを作り、そこに

Listen 8081

ServerName localhost:8081
DocumentRoot C:/www/foobar/public_html

Options FollowSymLinks
AllowOverride All
Order allow,deny
Allow from all


とかなんとか、やっておけば、管理しやすいかと。

トルストイ – 人は何で生きるか

人は何で生きるかを読んだ。

トルストイが作家としての名声は得た後に書いた、民話集。
僕が読んだのは古い角川のもの。

キリスト教の隣人愛を民話として伝えています。

こういう道徳的な話を子供向けの理想のお話として片付けるのではなく、
真剣に考えるものとして読む必要があるのではないかと思います。

しかも、この手のお話もトルストイにかかると、
とても読み応えのある、それでいて読みやすく、
大切なことがよく伝わる話として仕上げられています。

オススメ度★★★

三島由紀夫 – 金閣寺

金閣寺を読んだ。

1950年、実際にあった金閣寺放火事件を元にした小説。

内容は哲学的で、「存在」についてのヒントもあったりして、個人的にタイムリー。

第一章なんか特に、現象学的というか、実存を意識した表現が多いように思えます。

自分の想う女の子を待ち伏せていて、いざ前に走り出たシーン。

そのとき、私は自分が石に化してしまったのを感じた。外界は、私の内面とは関わりなく、再び私のまわりに確乎として存在していた。
(略)
おそろしいほど完全に意味が欠けていた。
(略)
言葉がおそらくこの場を救う只一つのものだろうと、いつものように私は考えていた。

あらゆる現象は、言葉によって意味を付与されるので、
「わけの分からない状態」も、言葉によって意味付けされ
「理解できる状態」になるハズなんですね。

ところが、主人公は吃音でした。
なかなか状況を説明できずにいるところへ、女の子からのトドメ。

「何よ。へんな真似して。吃りのくせに」

キタコレ。
しかし、主人公は思います。

この声には朝風の端正さと爽やかさがあった。

我々は世界と対峙するとき、吃りである。
それをあからさまに指摘する声に
爽やかさを感じたのではないでしょうか。

とまあ、主人公は幼いころから、常に吃音を意識します。

誰しも多少そういうのはあると思うのですが、
吃音や、内翻足(後半の人物がそう)といったものは、常に人目に触れやすいため、
どうしても意識の向き方が他より強くなるんだろうと思います。

そして、常にそれが自分の中の大きな部分を占めています。

不具というものは、いつも鼻先につきつけられている鏡なのだ。

他人は忘れ去っても、自分は忘れるわけにはいかないですからね。
そして、不具が単なる不具ではなく、一つの頑固な精神であり、
確固たる「物」として存在すると言います。

不安は、ないのだ。俺がこうして存在していることは、太陽や地球や、美しい鳥や、醜い鰐の存在しているのと同じほど確かなことである。

実存を確信している一文。

そもそも存在の不安とは、自分が十分に存在していないという贅沢な不満から生まれるものではないのか。

普通の人が自身の存在に抱く不安というのは、
自分の存在を意識させてくれるものが無い、ということです。

要するに、五体満足で何不自由無い、ということですね。
病気にならないと健康のありがたさが分からない、みたいな感じ。

以下脱線。

これを存在の不安とまで言うかどうかは別として、
現代にも自分の存在に不満を持つ人は多いのかもしれません。

大多数の中に埋もれることで、自分が
「その他大勢」になることに対する不満です。
言い換えれば、差異への欲求。

人と違うことがすなわち自分の存在理由になるわけです。
人と同じなら「別に自分がいなくてもいいじゃん」ということになりますからね。

ただ普通は差異と言っても極端なまでの差異じゃなくていい。
「人と違う」の「人」は、せいぜい知り合いの何人かであって、
その知り合いとちょっと違えばいい、くらいのものです。

その結果、例えば携帯電話が着せ替えられるとか、
ちょっとした小物のバリエーションが豊富だとかいうビジネスが
成立するんだろうと思います。

明らかに人と違う場合、その存在度は非常に高くなりますが、
違いすぎると「あってもなくても同じ」になってしまう気がします。

となると、他とのバランスの中で、最大限の差異を得ることが、
存在価値が最も高まり、ビジネス的には成功しそうです。

イノベーションというのは、
その許される範囲での「最大限の差異」なのかな。

その度合いがもう少し小さいと「ありそうでなかった」とか、
やりすぎると、「早すぎたナントカ」みたいな修飾語が付く予感。

なんか俗っぽくなってきましたが・・

以前三島作品読んだときは読みにくいと思ったのですが、
今回はテーマとか、表現とか、とても読みやすかった。
読むたびに新たな発見がありそう。
名作ですな。

オススメ度★★★★

関連記事:
サルトル – 実存主義とは何か
ドナルド・D・パルマー – サルトル
三島由紀夫 – 潮騒

15パズルジェネレーター

15パズルジェネレーターサイトを作ってみました。
自分の持ってる画像で15パズル(9パズル・25パズル)を作れます。
タグを貼れば自分のサイトにも設置できます。
もちろん無料・登録不要です。

なんかこう、サクッと作るつもりが妙に四苦八苦しました。
以下、よもやま話。

パズルジェネレーター自体はいろいろありますが、
今回はJavascriptベースで作りました。
JavaやFLASHのほうが画像を簡単に取られなくていいとかあるのですが、
あえてHTML+Javascript。

ぶっちゃけると、1枚の画像を各ピースになるようにずらして表示してます。
なので、最初から元画像はダウンロードされてるわけです。
そのへんこだわる人は、あらかじめ15枚に切った画像を用意するのが良いでしょうね。

今回はそこまでやってません。
例によってストレージにAmazonのS3を使うので、細かく切った画像を
アップしまくるのも時間かかりそうだし。
(名称は15パズルですか、9~25ピースにもできるので、全部作ると47枚作ることになる・・)

まあ、それでも簡単にコピーされてもつまらないので、
申し訳程度には、ごにょごにょしてます。
(なお画像を保存させないというのは、HTMLベースでやってる限りたぶん不可能)

パズルピースはIE6とその他のブラウザで実装が異なります。
IE6はIMGタグ+CSSのclipで、
その他はDIVタグ+background-imageです。

IE6だけはbackground-imageのある要素をいじると
再度画像を読み込むという訳の分からない仕様があるようで、こうなりました。

他のブラウザでIMGタグを使わないのは、
例えばSafariだとドラッグ・ドロップで画像見えちゃったり、
簡単にデスクトップに保存とかできちゃうので、
これは興ざめだろうということで。
ちなみにIE6はIMGをAタグでくくってドラッグ・ドロップによる画像保存を防止してます。

あとは、このピースを適当にならべて移動できるようにすれば完成・・・
とか思ってたのですが、「適当に」を本当に「ランダム」でやってたら
どうも、パズルが完成しないことがあります。

どうやら、15パズルは完成しない配置があるらしい

てっきりどんな並べ方でもそろうんだと思ってました。

その辺の証明とか、解説とかはこちら。

はじめ、ピース配列のシャッフルに工夫すれば、済みそうだなと思ってたのですが、
面倒になったので、空マスをランダム移動させることにしました。
(普通そうするか)

これで丸2日ほど試行錯誤・・
単純そうで奥が深いのねー。

サルトル – 嘔吐

嘔吐を読んだ。

「存在」に関する哲学的テーマを持った小説。

主人公アントワーヌ・ロカンタンが一般市民的生活を送りながらも、(その生活から見れば)半分狂ったような思考をしているお話。
でも、ロカンタンに共感できる人も結構いる気はする。

存在については、去年の暮れごろからのテーマです。

何かについて思考するとき、その対象は「在る」ものについてであることがほとんどですが、その「在る」とは何でしょう。
この日常の違和感のようなものから始まり、「在る」ことについての発見へと至ります。

存在について考えるとき厄介なのは、
存在というものがあまりにも当然すぎて、
何を考えたらいいのか分からないということしょう。

とりあえず「存在するもの」を実感するための、とっかかりとして、
「本質は実存に先立つ」
という考え方があります。

存在しているものの中には、まず何らかの本質があって、
その後で実存(モノ)があということです。

例えば、「紙を切れる何か」「音楽を聴く何か」という本質があって、
「ハサミ」「CDプレイヤー」のようなモノが生まれている、
というのがそれです。

部屋や街を見回せば、ほとんどがそういうモノです。

逆に
「実存が本質に先立っ」ているものもありそうです。
個人的には、植物や水、動物、人間なんかが
それに当たると思うのですが、人間だけという考えもあるようです。

要するに、「二本足で歩く何か」のような本質がなく、
ただ存在ありき、で存在するものです。

例えば人間を創造した「神」が存在しなければ、
人間は本質を持たない存在ということになります。
(この辺が実存主義)

こんな感じで、世界は存在するもので満ち溢れているわけですが・・・

* * *

ロカンタンは気づきます。
全ての存在は、不条理で、余計なものであると。

存在するものは、その意味や理由を厳密に語りつくせないという意味で不条理です。

(逆に説明や理屈というものは存在しないが故に、不条理ではないと言います。
例えば点と点を結んだものが線分であるというのは、
ただ言葉で定義され、充分説明されるているだけで、
それらは存在せず、不条理ではありません。)

この辺りでライプニッツが出てくるようです。

「なぜ無でなく、何ものかが存在するのか」

存在には全て理由があり、理由がなければならないと説きます。

理由があるということは、「なぜ?」という問いに答えられるということです。

ここでは「なぜ?」の連鎖を作ることができます。
子供のときに一度はやって親を困らせ(怒らせ?)たのではないでしょうか?

「なんでこの花は赤いの」
「虫が来るようにだよ」
「なんで虫が来るようにするの」
「実をつけるためだよ」
「なんで実をつけるの」

みたいな。

で、この行き着く先は二つあって、
一つは全ての創造者「神」。
もう一つは意味の無限の遅延、あるいは循環。

後者の場合は完全に不条理です。

つまり、その不条理から逃れるために神がいるというわけです。

しかし・・

そしてたちまち一挙にして幕が裂け私は理解した。
私は<見た>。

ロカンタンは「見て」しまったんですね。

存在そのものについて、神とか、言葉とかいうレッテルを貼れなくなってしまった。
貼ろうとしても、簡単にはがれ落ちるようになってしまった。

そこで、全てのものが不条理となり、
自分の存在そのものが余計なものであることに気づいたわけです。

* * *

普通は、この事実から逃れて楽しく暮らすために、
それぞれの事柄に関連性と意味を持たせて生活を充実させます。
あるいは便利屋としての神を引き出します。

これを自己欺瞞と言います。

たぶん、買ってから一度しか使ってないものを見つめて、
「なんで、こんなもの買ったんだろう」
とか思うときが、かなり、その存在そのものに接近している時です。

そのもの自体が、ここにある必要性も必然性も全く無い。

ただ「在る」だけの不条理で余計なものです。

そして、自己欺瞞も実感しやすい。
「それを得ることで満足できた」
「今後有益になるかもしれない」
と言って、しまいこみます。

実は、自分の持ち物は全て、余計なものです。
時々持ち物を処分したい衝動にかられます。
そのものから、自分が付与した「意味」が剥がれ落ちるからです。

しかし、結局全てを捨てた後でも、
自分という存在が残ります。
こればっかりは捨てられません。

ロカンタンも自殺はしないだろう、としています。
後に残る骨すら余計なものです。

* * *

ふむ・・ようやく、分かりかけてきた。

この本はなんて不条理な、余計なものでありましょうか。

オススメ度★★★★

関連記事:
サルトル – 実存主義とは何か
ドナルド・D・パルマー – サルトル

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