「思想」の現在形を読んだ。

現代の、知識・情報の流れと、その根底にある言語にまつわることが、哲学的視点から書かれています。

本書は「知識の異なった分野間にリンクを張ること」が目的となっており、一つの論を展開するわけではありませんが、その分全体を網羅したような感じになっています。

最初に言っておくと、万人向けのものではないですが、かなりオススメです。
哲学系+Web系な人にはピッタリで、ぜひ読んで欲しいと思います。
小さな段落で小分けされているので、読みやすくなっています。

97年に書かれた本ですが、インターネットの本質を突いていて、今の状況を当てはめながら読んでも違和感ありません。

インターネットの本質というか、そもそも言語の本質的な部分をインターネットが突いているのか・・

ともかく、インターネット・webの出現というのは、知識と情報の在り方にとって革命的であることは間違いありません。
(なんて言葉は何年も前からありますが、それが確かにそうだと思えるようになります)

Web以前は、知識を得るとしたら、師匠の教えか、書物しかありませんでした。
知識は完全に限定されており、個々人にとっては圧倒的に不足状態だったのです。

しかし、Webの登場によって、情報の流通量は爆発的に増加しました。

人類はいまだかつて経験したことのない「情報過多」の世界に生きることになったのです。

インターネットをある程度利用している方は分かるかもしれませんが、今Webはどこか混沌としたところがあります。
それは情報過多という未曾有の事態に、様々な人が様々な方法でアプローチしている結果です。

何せ人類史上初めてのことですから、定石が無いのです。

■対象から環境へ

黎明期からちょっと前までは、webサイトは電子ポスターみたいな感じがありました。
企業も個人も、自分のことを書いたポスターを貼り付けていたイメージです。

ポスター(ホームページ)があって、閲覧者がそれを見るという図式です。

が、そろそろそういう使い方は終わりを見せ始めています。
最近よく言われるweb2.0に代表される概念が良い例ですが、
2.0というのは、対象だったwebが環境としてのwebになることなのかなと思います。

うーん…「なる」というのは曖昧ですね。

webは何も変わっていません。10年たってもHTTPで通信し、HTMLなどでマークアップされた文書を流し続けています。

2.0はwebそのものの変化ではなく、認識の変化です。

今までは、webという世界に対し、使う側としての自分が切り離されて考えられていました。

それが「web」と「webを使うという行為」は切り離せなくなってきた。

例えば、Googleで検索することは、もはや単に文書を探すことではありません。
検索された語はフィードバックとしてGoogleに蓄積されます。
蓄積されたデータは別の誰かが検索を利用する時に利用されます。

使う本人にその自覚は無くても、その人は確実に「環境」の一部になっています。

このことに気がついている人は既に沢山いるはずです。

そのような人が作ったサービスが、「環境」に馴染んだ人にとっては面白く、
そうでない人にとっては、よく分からないものとなるのは、必然かもしれません。

それは良いとか悪いとかいう話とは別の、認識の違いです。

オススメ度★★★★