幸福な死を読んだ。

メルソーが富裕な知人ザグルーを殺して金を奪いながらも、最後には幸福な死に至るという、お話。

金、時間、幸福、死というキーワードが興味深い。
いちいち納得できることが多いのだが、やはり幸福と死という概念が難しい。

とりあえず、そもそも幸福とは何かというのは、またの機会に考えることにしておいて、
金と時間、幸福への意思について考えてみる。

ぼくらは自分たちの人生をお金を稼ぐことに費やしてしまうんだ。
本当なら、お金によって時間を買わなければならないときにね。

多くの人々は生きるためにお金が必要で、
お金を得るために自分の時間を切り売りする。
そうして、生活とお金が均衡して存在するが、時間のみが消費され欠乏する。

時間が幸福へ至る条件だとすると、
このような人生に幸福は無いと考える。

なにもぼくは、お金が幸福を生み出すなんていうことを言いたいんじゃないんだ。
ただぼくは、或る階級にあっては、幸福になることは(時間が持てるという条件で)可能であり、お金を持つということは、その人をお金から解放することだと思ってる。

要するに2億円くらい持っていて、
つつましくしていれば60年くらい何もしないでいられる。

労働(で時間を消費する)という、お金の代償から解放され、
幸福へと至る条件である時間を得ることができるということだ。

そして、メルソーはザグルーの金を奪う。
それはつまり、時間を手に入れたのと同義である。

さて、お金から解放され、
膨大な(人生が終わるまでの)時間を手に入れたメルソーは、
後はひたすら幸福を求めれば良いこととなる。

時間を持つということは、経験のなかでも同時に一番素晴らしく、一番危険なことであることを彼は理解していた。

時間を持つのは素晴らしいことではあるが、
今度は時間の空虚さに耐えなければならない。
一歩間違えれば、堕落への道を転がり続けることになる。

時間があったら、あれやろう、これやろう、と思ってたのに、
いざ時間ができるとゴロゴロして過ごしてしまう、というやつだ。

かれにとってもまた、再開や、出発や、新しい生活は、それなりの魅力を持っていた。
だが幸福がそうしたことに結びつくのは、怠け者と不能者たちの精神のなかだけでしかないことをかれは知っていたのだ。

再開、出発、新しい生活は、そうした堕落から逃れる最も簡単な方法である。
いわば人生の暇つぶしができる。
しかし、それは幸福に至ることはない。

圧倒的な時間の中で幸福を見出すことができるのか。

幸福もまた長い忍耐なのだよ。

幸福は、ひとえに「幸福への意思」によって初めて見出せる。
時間の圧力に耐えられない者は「諦めの意思」によって、怠惰な幸福に甘んじる。

幸福への意思を持つことの大変さに気が付くと、
特別不幸でなければ特別幸福でなくても良いんじゃないかと思ったりする。

そして青い鳥が身近にいることを発見することにする。

童話では、ここでめでたしめでたしなのだが、実は違う。

身近に発見したはずの青い鳥はすぐに逃げていくのである。

オススメ度★★★