門を読んだ。

三四郎、それから、に続く前期三部作と呼ばれるものの最後。

宗助が、友人安井と同棲していた御米を、半ば奪う形で結婚し、
そのために背徳者として、家と世間から切り離されて暮らす話。

決して、御米が嫌がってるわけではない。
むしろ二人で一つ、お互いがいれば他には何もいらない、
というくらいの仲。

背徳という闇の中にともる灯火のような二人だが、
決して不幸には見えない。

実際彼らは不幸ではなかったが、
不幸でないことを自覚しているわけでもない。

ただ世間の風雨を人一倍感じざるをえないだけである。

背徳者だけが感じる不安が巧妙に描かれている。

最後の御米と宗助の会話。

御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、
「本当にありがたいわね。漸くの事春になって」といって、晴れ晴れしい眉を張った。
宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。

このシーンは、そのまま冒頭のシーンにつなげることもできる。
季節がめぐるように訪れる、終わることのない不安を暗示している。

以下、深読みコーナー。

大家さんが饅頭をごちそうしてくれる場面。

主人は箸とも楊枝とも片の付かないもので、無雑作に饅頭を割って、むしゃむしゃ食い始めた。宗助も顰に倣った。

というくだりがあるのだが、「顰(ひそみ)に倣う」というのは、「真似すること」を謙遜した言い方だ。

この語源を調べてみると面白い。
「顰に倣う」は「西施(せいし)の顰に倣う」という中国の話から来ていて、
その話は以下のようなものである。

春秋時代、西施という美女がいた。
西施が胸の病で、苦しみ、眉をひそめていたところ、
それを見た醜女が美しいと思い、自分も真似をしたところ、
あまりの醜さに金持ちの村人は門を閉ざし、
貧乏人は逃げ出した。

この逸話は漱石も知っていたんじゃないかと思うが、
門というテーマにひっかけていたとしたら面白い。

…まあ、たぶんそんなことは無くて、
たまたま使おうと思った言葉と逸話が関係あるっぽいだけだろうが。

オススメ度★★★★

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