どんなゲームを作りたいのかではなく、どんなカルチャーにするべきなのかこそが大切

ゲームクリエイター作法を読んだ。

ゲームが企画されて世の出るまでのアレコレ、
ゲームについての信念・考察がコンパクトにまとめられている。

僕が普段考えていたゲームの在り方と、
本書で考察されていた在り方のベクトルが大分似通っていたので、
興味深く読むことができた。

リアルであること、というのはどういうことかというので、
写真のボケみたいのが引き合いに出されていたが、これはピンときた。

最近のデジカメなんかは、マルチオートフォーカス機能がついてて、
これで建物を背景にスナップ写真など撮ると、
近くの人物はもちろん、遠くの建物までしっかりピントが合う。

全体としてキレイなのだが、
実際プリントしてみると、どことなく不自然で嘘っぽい感じになってしまう。

つまり、何もかも細部までしっかり写ることと、
リアルであることとは関係が無いのだ。

メインでない部分はあえてボカすこと、
これによってテーマを浮き彫りにでき、
かつリアルにもできるということになる。

ところで、ゲームで「リアル」というと、真っ先に連想されるのが
「実写に近い」というイメージなんじゃないかと思う。
そして、やっぱり時代が進むごとにゲームの映像は実写的になってきた。

しかし、ゲームがより写実的になることは
ゲームがより本質的になることにはならない。

現在のコンピューターは電気信号の0か1で動く。
その土台の上に築かれたゲームは、やはり0と1の世界でしかない。

それが良い悪いという話ではなく、
本質が0と1という世界なのだ。

ゲームとは、もとよりアレゴリーの産物なのだ、という結論に達する

本書では、ゲームの寓意性が語られるが、
ゲーム=寓意(アレゴリー)というのは、かなり本質的なところだと思う。

ゲームの土台は0と1である。
我々の世界はそうではない。

我々の世界と違う土台の上で、
我々の認識できる世界を構築すれば、
それは寓意的である。

あと、いくつかヒントっぽくて面白いもの。

(キャラ作りについて。好きなもの、○○と書き連ねるよりも)
きらいなこと、嘘。
とあるほうが、はるかにキャラクター性をつかみやすく、感情移入もできるというもの。

アクションコメディというのは、ちょっとしたこと、普通の人にとって造作のないことがうまくできない、それが笑いになるんだ。
たとえば石鹸があったとして、アクションコメディアンは、その石鹸をうまくつかむことができない。つるっと滑らせてはドタバタと大慌てする、そのさまがおかしいんだ
ローワン・アトキンソン

与えるゲームは必ず失敗する

オススメ度★★★