https://news.yahoo.co.jp/feature/1509

自分が理解できるものだけでできているのが“セカイ”なんだと。ほんとに狭いんだけれど、狭いからこそ“セカイ”と思わなくちゃ惨めなんだよね。現代の鬱屈感というのはそういう表れ方をしているんだと

SNSが普及し、リア充投稿を見るほどに、自分がリア充でないことに気づいてしまった大勢の人が鬱屈感を募らせているというのはありえる。

また、自分の共感できる好きな投稿あるいは投稿者とだけつながる小さなクラスタの中に安住することが当たり前となり、人としての器や視点、スケールが小さくなっていく。

鬱屈への共感を生んで、視線を自分の内側にだけ向けてしまう作品は危険だと思う

鬱屈を反骨精神として正しい方向に成長あるいは表現できるようになれば問題は無いが、犯罪などの負の方面へ先鋭化することもありえる。

SNSは人々の本当にわずか部分しか見えないにも関わらず、タイムラインで多くの情報に触れると、世間を見たような錯覚を覚えることもある。

漫然とした利用は自分の考えや気分を矮小化させる可能性があり、デメリットのほうが大きいかもしれない。