国家の品格を読んだ。

タイトルのわりに、読みやすい本です。
冒頭に「半分は誤りと勘違い、残りの半分は誇張と大風呂敷」という一節がありますが、まあ、そうかも、という内容(笑)
ある意味煽っているような内容です。

ただ、あらゆる本がそうであるように、考えるきっかけと、指標を与えてくれるのは確かです。

そもそも本にズバリ解が書いてあることは、まれなことだと思いますが。
(このことについて書いてたら長くなりそうだったので、この次に…)

今回は、道徳について考えてみました。

最近日本でも凶悪犯罪などが増えてきて、なんか変だなと思っている方も多いと思いますが、その理由の一つは、理論が蔓延し始めてきたことだと述べられています。
理論は科学や学問などの分野では非常に有用ですが、その範囲を超えて広がってきているようです。
その結果、強者が弱者を淘汰するのは当たり前となり、勝ち組・負け組という言葉を平気で使えるようになってきたのでしょう。

理論を横行させると何故良くないのかといえば、理論が完全でない上、人間も理論通りには動かないからです。

もし人間が理論に従い、合理的な判断を下せるとしたら、バブルは起こりませんし、振り込め詐欺にも引っかかりません。もちろん戦争も起きません。
しかし、世界で初めて会社ができたころから何度もバブルは起きていますし、振り込め詐欺の被害は何億円にものぼっています。地球で争いが無い日はありません。

どんなに美しい理論があっても、人間は決して理論通りにはいかないのです。

そう考えると、よく「日本は民主主義だから」「イラクを民主国家に」などと、平和・安全・平等の代名詞のように言われる「民主主義」には何の保障も無いことが分かります。

国の代表や方向性を選ぶ国民が、誤った考えを持てば、国は簡単に誤った方向に進むということです。
ヒトラー政権しかり、イラク戦争しかり、です。

人間は理論だけではダメです。

さて、そこでどうすれば良いのか、ですが、本書では、武士道を初めとする、日本固有の道徳観などを教えよとあります。

道徳は理論ではありませんから「なぜそうするのか」などは教えません。
弱い者を大勢でいじめるのは悪いことなのです。
人を殺すなどもってのほかです。
理由はありません。

…どうでしょう?

これが納得できない人は既に理論の影に飲み込まれ始めています。
全ては理論的であるべきだ、という理論万能な考え方に囚われているのです。

逆に言えば、理論的に正しいように思えることは簡単に信じてしまいます。
そして信じた理論が破綻した時、もう八方塞で絶望し、何のやる気もしなくなってしまうでしょう。
万能だったはずの理論が破綻すれば、他によりどころとなるものが無いからです。

日本そのものが理論の影に飲まれようとしている今、このようなことを叫ぶのは勇気のいることです。

何故なら理論的に説明できないことを叫ぶのは、私は頭が悪いと言っているように聞かれてしまうかもしれないからです。

しかし、道徳を捨て理論に走った結果、例えば、いじめは耐えなくなってしまいました。

「弱い者を大勢でいじめるのは良くない」
「なぜか」
「卑怯だから」
「なぜ卑怯なのは良くないのか」
「・・・・」

ここで言葉に詰まる人は多いと思います。
それは、理論的な答えを探そうとするからです。
道徳を知っている人なら「良くないものは良くないからだ」と言うでしょう。

神を知っている人なら「神はおっしゃった」となります。
これが神の正しい使い方だと思います。
戦争の理由に使うことなど、あってはならない。

私の高校の教師は、
「なぜ人を殺してはいけないか」という問いに対し、
「法律で決まっているからです」と答えました。
これではいけません。

法律に無いことは何をしても良い、ということになってしまいます。

子供であれば、子供にとっての法律・・つまり、親の目・他人の目に触れなければ万引きしてもいい、と考えてしまいます。

人間と理論が万能でない以上、ダメなものはダメ、お天道様が見ている、といった、いわば非論理的な道徳教育は絶対に必要なものだと思います。

本書は、それを再確認できるものとなりました。

オススメ度★★