分類の発想 思考のルールをつくるを読んだ。

オブジェクト指向開発で、どのクラスにどういうメソッドを持たせるか、ということで、うまく分類する方法は無いものかとヒントを求めて安直に「分類学」というキーワードに飛びついたわけですが。

分類学の起源は本草学にあるようで、本書も植物・生物等の分類について述べられています。

前書きでも述べられている通り、結構脱線もあって、しばしば「分類」とはかけ離れてたりします。

ただ、分類と比較という点について、分類を軽く見ないほうが良いということは実感できます。

その分かりやすさと手軽さから、多くの分野で「類型分類」というイメージ先行の分類が多用されているようですが、これも分類の基準(クライテリオン)をはっきりさせないと、非常にあいまいな分類になってしまうようです。

と、もっともらしく書いてみましたが、実は本編はそれほど頭に入っておらず、それ以外の話が意外と頭に入っています。

先日のエントリーで書いた「キーワードについて」もそうですが、
それ以外には「進化」という言葉について。

君の祖先は猿かもしれないが、私の祖先は神が創りたもうた

進化論反対論者によるセリフとのことですが、「これは明らかに明確な人間中心の価値観が背後に確立していることを示している」と述べられています。

結局生物界で最も上に立つ者は人間である、という価値観が根底にあるからこそ、進化論が受け入れられている今でも、ヒトは猿から「進化した」と言う。

人間は尾が無く、尾?(てい)骨が痕跡的に残るだけだが、それは尾が退化したものとされ、同時に不要な尾を廃棄するという進化を遂げたとされている

進化であろうが退化であろうが、それは「変化」であることに変わりは無く、実際「進化」という言葉は「変化」に置き換えても、意味が通じると述べられています。

それを進化と言い換えて違和感が無いのは「人間様が一番上」という価値観を既定のものとして了解しているからである、と。

“進化”は科学用語でなく、心情用語だということになる

進化”論”が、進化”学”になれないというのも、この辺が一枚かんでるのかな、とか思ってしまいました。

余談ですが、今朝の朝日新聞の別紙Beに、とあるイギリス人記者によると日本人はラベリング好きだ、という記事が載っていました。

ラベリングとは、フリーター、ニートなどのラベルをつけて分類することです。

実際、「ニート」という言葉はイギリス生まれですが、本国では定着せず、日本で何もしない若者のラベルとして定着しているようです。

イギリスはもともと階級社会なので、すでにラベリングされているから定着しないのでは、ということですが、既に分けられたものは改めて分ける必要は無いということなのか、どうなのか・・

考え始めると長くなりそうなので、またの機会に…。

オススメ度★★