たまたまなぜネットではディレクトリが敗れ、サーチとタグが勝利するのかと、今読んでいる本の内容が重なっている所があったので、メモ。

かつて、ディレクトリのYahoo、ロボットのgoo、という時期もあったが、今やYahooのディレクトリは下のほうへと追いやられ、検索もGoogleちっくなものに変わっている。

確かに、ネット世界がある程度見渡せた時期は、ディレクトリサービスは使いやすかった。
gooのようなロボット型のインデックスアルゴリズムが、それほど優れていなかったころ、
サイトの質を重視したい場合は、Yahooのディレクトリから探していた。

しかし、爆発的な勢いでコンテンツが増加している今日、人力による一元的な分類には限界が来たことは、YahooがGoogleタイプの検索システムを前面に出したリニューアルを見ても明らかなようだ。

そして、今ネットに台頭し始めたのは、「キーワード」や「タグ」である。

タグはそれほど浸透していないかもしれないが、キーワードは検索には必須の要素となっている。

ところで、今読んでいる本は、90年に出版された本なのであるが、この15年前の本の著者は既に、情報を引き出す要素として「キーワード」の採用を提案している。

(ちなみに1990年といえば、25MHzのCPUに8Mのメモリ、100MBのHDDのパソコンが200万円で売っていた時代。
ゲームで言うと、スーパーファミコンが次世代マシンとして登場したころである。)

そのキーワードの設定は作者や第三者が行い、そのキーワードはコンピューターに入力し、検索できるようにすれば良いとある。
(そういう意味で、これは今で言う「タグ」にあたるものだろう)

ネットでは、キーワードの抽出・管理を、例えばGoogleが行い、タグも写真共有サービスflickrはじめ、一部で付けられつつあるようだ。

そんなこの本が何の本かと言うと、「分類の発想」という分類学の本だったから、ちょっと面白いと思った。

著者曰く、分類手法等の発達に関して、歴史があり、特に優れているのが生物関係の学問で、人文学・社会科学などにおける分類はまだ初期段階ということである。

ネットでは、分類が極まってキーワードやタグが発生したわけではなく、分類しきれずにキーワードの必要性が出てきたわけであるが、もしネットにおいて、この「分類」が未発達なのだとしたら、確かに一時的には「ディレクトリが敗れ」たのだとしても、まだ復活の余地があるような気もする。

ただし分類に限界があるのは事実なので、ディレクトリが今までと同じディレクトリとして復活するかは難しいように思える。

個人的にはGoogleのような精度の高いキーワードサーチでも、しばしば結果に不満があったりするので、少なくとも現在のようなサーチ形式が長く続く保障は無いと思っているし、キーワードとディレクトリが融合したようなサービスも十分期待できると思っている。

朝日選書409 中尾佐助著 分類の発想 思考のルールをつくる