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ゴーリキー - どん底

2007/08/27

どん底を読んだ。

題名に偽り無く、社会的底辺にいる人々の模様を描いた作品。
ゴーリキー自身が相当な経験をしているらしい。

社会的弱者、浮浪者と、ひとくくりにはできない、
ひとりひとりの「人間」が描かれている。

本作中では結局、救いは無いわけだが、
救いとは何であるかを考えさせられる。

その中で、真実を求めるべきか否か、という話題は興味深い。

なぜまた……そんなにほんとうや真実をほしがるんだね?
……よく考えてごらん!その真実とかいうしろものは、ひょっとするとお前さんの破滅のもとかも知れないじゃないか……

一切の希望が失われてもなお真実を求める者は言う。

人に頼りもしなけりゃ、人を食いものにもしねえ人間にゃ、嘘がいったいなんの足しになる?
嘘ァ-奴隷と主人の宗教だ。……真実こそ-自由な人間の神なんだ!

嘘は他者との関係の上に成り立つ。
嘘は、真に独りでいる人間には全く無意味なのだ。

まさに独りで生きるということを知った人間が達する真理だろう。

孤独な人間は、他者との関係から切り離されているという意味で自由な人間だ。

不自由とは制限であり、制限は取り決めである。
単なる他者との取り決め、あるいは思い込み。
嘘と言ってもいいのかもしれない。
無いものをあるものとする。

一切の制限は、自分がそれを制限と信じることから始まる。

朝起きて学校に行かねばならない…そんなことは無い。
つまり「行かねばならない」というのは嘘なのだが、
自分が「行かねばならない」を信じる以上、「行かねばならない」ことになる。

制限を信じることで不自由となるが、
そこには他者とのつながりがある。

人が制限を信じるのは、制限によってつながる他者を求めるからだろうか。

人間が自由の刑に処せられているというほど自由なのであれば、
人間は本質的に孤独であるのだろうか。

真実が自由な人間の神であるならば、
真実は孤独の中で見出されるものなのだろうか。

オススメ度★★★

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サルトル - 実存主義とは何か

2007/03/29

実存主義とは何か
実存主義とは何か
を読んだ。

実存主義に対する批判への反論、という形で語られている。

人間の本性は存在しない。
(略)
人間はみずから造るところのもの以外の何者でもない。
以上が実存主義の第一原理なのである。

人間は自由の刑に処せられている

選びたまえ。つまり創りたまえ

などなど、サルトル哲学の有名所がいろいろ。

人間は望んでこの世に出てきたわけでないのに、
存在し、常に自由であり、かつその責任は全て負わなければならない。
それが「自由の刑」。

自由であることは、同時にとても不安でもある。

自由の刑による不安を軽くするために、決まりごとを沢山作って
あたかもそれが必然であるかのようにふるまう。
(会社に行く、クレジットの支払いをする、食事をする…)

そうして自由を排除し、不安を最小限にし、
隙間があれば、自らの責任において、ルールを選択する。

その総和がその人そのものであり、自らを創るということである。
そして、自らの選択したルールに従ってできた、
いわば「役」を演じることになる。

この「役」は人間本性とは関係無いので、
簡単に置き換え可能である。

だから、映画や小説やゲームの主人公と、自分を置き換えるのは難しくない。

元々が役者なんだから、新しい舞台ができれば、
いくらでも新しいルールで自分を再構築できる。

ある程度できあがった役割を大きく変えるのはきつい。
それまでの選択が、次の選択に影響を与えるので、
容易には大きな転換ができない。

ルールで固めた役割に不安は無いが、
いささか窮屈で、思い通りにならない不満はある。

それを文字通り、新たな創造で解消することもあれば、
単に「置き換え」で満足することもある。

人は皆、選択によって、自分というものを創造している。
人は自由という刑、つまり不安を逃れるために、
創造せずにはいられない。

創造の場、事実上の現実(ヴァーチャルリアリティ)さえあれば、人は創造する。

オススメ度★★★

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