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羽生善治氏インタビュー

2008/01/26


決断に際し、「自分自身を信じる」というのは当たり前のように使われる言葉だが、
よくよく考えると、実はそう簡単なことではないことに気付かされる。

他の人のことは100%は知らないわけですよ。
だから、ある意味すごくこう、神格化してしまったりとか、
信用してしまったりできるんですけど、
自分自身のことは嘘はつけないっていうか、
やってる日常のことは全部知ってるわけであって、
そこで信用しろ、って言っても大体できないですよ(笑)
(略)
そういう意味で、日常は非常に大事

他、
・知識や情報のために多くの時間を割かざるをえないが、感覚的なものを研ぎ澄ますことも重要
・次の勝負に勝つ最善の手段が、長期的には最善でないことがある。その辺の加減を知る。
(対局であえて得意でない戦術を使うことに触れて)
・1の実戦は、100の知識に勝る

関連リンク:
バックナンバー 羽生善治講演会『決断力を磨く』

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岐阜旅行、祖母のこと

2007/08/15

8/10~13で岐阜へ行ってきた。

祖父母が住んでいたので正月よく行ったが、
夏に滞在することって実はほとんど無かったことに気づいた。

黒野駅

写真は名古屋鉄道揖斐線黒野駅跡。
中部の駅百選に選定されたこともあるらしい。
家に車が無かった小学校のころは、新幹線と私鉄を乗り継いで、
最後に、ここから15分ほど歩いて祖父母の家に向かっていた。

祖父は十年近く前に亡くなったが、祖母は健在である。
とにかく元気で、恐らく、家族の誰よりも口が回っている。

思ったことをそのまま言うのだと思うが、
裏が無いので、気分の悪くなることが無い。

七十半ばにして、朝の4時半から勤めに出る。
皆が根をあげるような仕事も、真面目にこなす。
つまらぬ愚痴をこぼすわけでもない。

料理が出れば、何でもおいしいなあと言うし、
旅行の思い出話になれば、どこでもええとこやったと言う。
何気ないことにも、ありがとうと言う。

不足を語らず、足ることを知る人である。

人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから、それだけです。

祖母が自分が幸福だと思っているかは分からないが、
少なくとも、幸福だと知っているようには見える。

もちろん聖人のようとは言えないが、
僕の目指すべき境地に近い人だと思った。

僕にも4分の1はその血が流れているハズなのだが、なかなか難しい。

旅行で撮った写真はこちら
カメラ:RICOH Caplio R6

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「好きなこと」を仕事にすべきか - 美について

2006/01/21

美しいものに感動する機会がもっとあってもいいんじゃないかと思って考えてみました。

特に小学校では、実学としての英会話や株式投資やパソコンなんて教えていないで、美しいものを感じる心を育てることが必要だと思います。

もしかすると「好きなこと」ではなく、「美しいと思うもの」を職業に選ぶとうまくいくのではないかと思ったからです。

例えば、

一面に広がる小麦畑が何よりも美しいと感じたら、小麦農家。

株価チャートがこの世の美の極みだと思ったら、証券アナリストやトレーダー。

非の打ち所の無い論法こそ、と思ったら弁護士。

E=mc2で卒倒しそうになったら数学・物理学者・・・

などなど。

もちろん、たいていの人が思う「ああ、美しいな」程度ではなく、「こんなに美しいのに何故理解されないんだ」とか「他の人が感じている以上に美しいと思ってる」くらいが前提ですが。

私の恩師の一人は「かわいいものは所有したくなる。美しいものは生み出したくなる」とおっしゃっていました。
かわいいものは所有できれば満足なのですが、美しいものは生み出せないと満足いかないということです。

単に「好き」というのでは「かわいい」と感情的に同レベルであり、どんなに好きなものでも所有できてしまうと、そこで終わってしまいます。

しかし、「美しい」は生み出さなくては満足できませんので、なんとか生み出そうとします。
しかし、大抵はうまくいきません。
小麦は枯れるし、株は大損。口げんかにも勝てないし、ピタゴラスの定理も証明できないかもしれません。
それでも、美を感じる心がある限り、生み出したいという欲求は持続し、何度失敗しても再び挑戦できます。

そして、この生み出したいという欲求は、美を感じる感性が強ければ強いほど、高まっていくのではないかと思います。
およそ一流と呼ばれる人は、この美的感性が鋭く、強いのではないでしょうか。
つまり美を感じる心があればこそ、常に向上心を持つことができ、とんでもない偉業を成し遂げることができるのではないかと思うのです。

好きなことは仕事ではなく趣味にしろ、というのは正しいのかもしれません。
趣味は所有・習得してニコニコしていれば良いですが、仕事には向上心が必要です。

* * *

そういうわけで、学校では是非、美を中心に授業をしてみたらどうかと思います。
もちろん、毎日美術の時間を設けて、絵画を鑑賞させろ、というのではありません。
あらゆる教科で、その美しさを説くのです。

例えば、嫌われる傾向にある数学や物理などは、特に美しさを説くべきだと思いますし、また説きやすい教科だと思います。
「数学とか、+-×÷だけありゃ、実際困らなくね?」とよく言われますが、これは数学で美しさが教えられていない証拠です。

問題集も、ただパターンを暗記するためのものではなくて、その美しさを実感できるものであるべきです。

もちろん、それでも皆が同じように数学が美しいと思えるわけではありません。それは当然です。
だから全ての教科で行う必要があると思うのです。
もし、義務教育を終えた段階で、美しいと思えるものが無かったら、無理に普通科高校に進学するのではなく、別の道へ美を求めても良いと思います。

さらに付加価値として、このように美しいものに対する感性が鋭くなっていると、社会全体がより良いものになると思います。
例えば、ゴミやタバコのポイ捨ては減るでしょうし、人を騙すような犯罪も減りそうです。
(まあ、この辺は道徳教育の役割も大きいでしょう・・)

いずれにしろ、美に対する感性を磨くのは自分の人生にとってプラスになるのは間違いないと思います。

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「考える」をさぼらない

2006/01/12

以前、「あまり本を読まないという学生に本を紹介する」という番組を見ましたが、その学生の一人に本のあらすじを紹介したところ、
「(本の主人公は)なぜ、そんなことをしたの?」
「どうしてそうなの?」
という質問をしていました。

疑問を立てることは重要なことですが、その解をすぐ求めようとするのは、現代教育の悪しき成果なのかもしれません。

大学入試でも、ほとんどマークシートだったりするところもあります。
既に答えが示されていて「この中から選びなさい」ということです。

つまり、答えはそこにあるものだと思っているので、
(紹介する人がいれば、その人は当然答えを知っているのだろうと思い)
「どうして?」と聞いてしまう。

「考える」という過程が無いか、短いように思えるのです。

* * *

おおげさかもしれませんが、人間、何をさぼっても、決してさぼってはならないのは「考える」ことだと思います。

考えることは疲れます。

言葉には出さなくても、それをしゃべるのと同じくらいの労力が必要なのではないかと思うほどです。

まして、考えることに終着点はありませんので、続けようと思えば、いくらでも続けられます。

それでも、誰もいない部屋で一人延々と考えることは、必要なことだと思うのです。

考えることに対して忍耐力が無いと、即座に判断しかねる問題に直面したとき、恐らく誰かに決めてほしくなります。

面倒なことは、白か黒かで提示してほしいと思うようになります。

* * *

改革を続けるのか続けないのか、郵政民営化するのかしないのか。
問題を単純化して訴えた自民党は圧勝しました。

別に自民党を批判するつもりはありません。
見事な戦略です。

ただ、投票した人が、自民党に票を入れた際、それは考えたうえでのことなのか、
それとも、考えることを怠け、提示された二択から選択したのか。
それが重要な所だと思います。

その「考える」ために有用なのが本だと思いますが、そもそも考えることを知らないか、苦痛な人にとって、本に興味を示さないのは当然かもしれません。

「考える」を前提として持っていないと、ちょっとでも抽象的な表現や、寓話が出てくると「わけわかんない」になってしまいます。

しかし、「わけわかんない」のは恐らく全ての人がそうなのだと思います。
時には作者でさえもそうだったりするかもしれません。
その先はもう、考えるか考えないかしかないと思います。

考えた結果が正しいとか、間違っているとか、そんなのは必要ありません。

後になって、あの時の考えは正しかったとか、やっぱり間違いだったかも、と思うことはありますが、いずれにしろ「考える」力は確実についていくと思います。

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