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「おもしろい」のゲームデザイン - 楽しいゲームを作る理論

2006/09/17

「おもしろい」のゲームデザイン
「おもしろい」のゲームデザイン - 楽しいゲームを作る理論
を読んだ。

皆さん、三目並べはやったことありますか?
井の字に○×というアレです。僕はやりました。
小学校のころは休み時間になれば、
みんな黒板に向かって狂ったように○と×を書きました。

そして、誰に教わるでもなく、最善の手を尽くせば引き分けに終わる、
ということに気づき、卒業するころには誰もやらなくなりました。

ゲームは未だ、この三目並べの域を脱していないものが多いようです。

■脳の働き

本書は「これを読めばゲームデザイナーになれる!」といった類の本ではありません。
どちらかと言うと、というかほとんどアカデミックな内容です。

が、ほとんど全てのページにデカデカと挿絵があります。
たぶん半分は絵です。すぐに読みきれます(笑)

本書では、人間の脳がいかに働くか、という所からスタートします。

脳はパターンの認識にかなり多くの労力を費やします。
しかし、脳は毎回毎回パターン認識作業をするわけではありません。
一度認識できたパターンはチャンクとして蓄積されます。
つまり、一度会得したパターンはもう特別なことをしなくても認識できるわけです。

自転車の運転したり、学校への道のりを通うことがそれです。
しかし、脳は怠惰なのかと思いきや、そうではありません。

脳が持つ学習への欲求を過小評価すべきではありません。

脳は常に何かを学ぼうとしています。

おもしろさとは単に、学ぶことの別名なのです。

学校での勉強がつまらないと思うのは、
情報の伝え方、つまり先生が良くないから、ということになります。

それでも一旦パターンを習得してしまえば、そのゲーム(学習)はつまらなくなります。

■抽象化する

位相数学(トポロジー)の見地からゲームを考えるのはとても役立ちます。

トポロジーについて、本書では

形状を「押し潰した」だけでは変化しない形状の特性に注目して研究する幾何学の一分野

と説明しています。

ある立方体を望むように押しつぶしたり、広げたりできれば、
球にするのはたやすいが、穴を開けなければドーナツ状にはできない。
しかし、ドーナツ状のものは、簡単にポット(ふたや取っ手の無いもの)に
変形させることができる。

そういう意味で、立方体と、ドーナツ状のものとは根本的に異なるということでしょう。

立方体を広げたり、潰したりして表層を変えたゲームは沢山存在します。

ゲームにもっとはまり込めば、そのゲームを支える土台を見つけ出し、確かめるために、そこを切り出すのが、かなりうまくなるでしょう。

重要なのは、ゲームの本質を抽象化し、
「チャンク」(冒頭参照)として記憶された部分を理解することだと言っています。

つまり、チャンク化されてしまったものは
表層を変えたくらいでは、やがて飽きられるということだと思います。

構造に穴を空けることを革新的である、と言います。

■具体的には、どうあれば良いのか

いくつか指針があります。

・挑戦する前に準備しなければならないですか?
・異なったやり方で準備しても、成功することができますか?
・挑戦が発生する環境は、その挑戦に影響を与えますか?
・プレイヤーが受ける挑戦を定めた確固たる規則が存在しますか?
・その規則一式は、何種類もの挑戦に対応できますか?
・その挑戦に耐えるためにプレイヤーは複数の能力を持つことができますか?
・難しさが増した場合、その挑戦に耐えるのに、プレイヤーが複数の能力を持たなければならなくなりますか?
・能力の使用に関連した技術が存在しますか?(もしないなら、チェッカーにおける駒の動きのように、それが、そのゲームで基本となる「動き」に相当するものですか?)
・挑戦を克服するのに必要となる、いくつもの成功を辿る道筋が存在しますか?(言い換えるなら、成功は唯一の結果だけをもたらすようにすべきではありません)
・熟達したプレイヤーが簡単な挑戦に取り組んでも何も利益を得られないですか?
・挑戦に失敗したら、最低限、プレイヤーは再びやり直さなければなりませんか?

以上の質問のどれか1つでも答えが「いいえ」になるなら、そのゲームシステムは、おそらく、作り直す必要があるでしょう。

本文中でかなり具体的に書かれていたのがこの部分だと思います。

■ゲームはどこへ向かうべきか

ゲームが、領地や、照準や、攻撃時期といったものに関するパターンを教えるだけのものから変化するべきときなのです。

中盤?後半では、ゲームをさらに大きな枠でとらえ、
芸術へと昇華させていくべきという、筆者の持論が展開されます。

ゲームはまだ成熟しておらず、それはあたかも
印象・抽象画の絵画、遊園地に置かれていたキネトスコープ
若者を堕落させると言われたジャズ・ロック、等が歩んだ道のように、
一段低いものとして認識されています。

このことをゲームに携わる者はよく理解し、
自らの信じる方向へとゲームを動かしていくべきでしょう。

そうして時を経て残るものが芸術となっていくはずです。

オススメ度★★★★

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吉永良正 - ゲーデル・不完全性定理―”理性の限界”の発見

2006/08/24

ゲーデル・不完全性定理
ゲーデル・不完全性定理―”理性の限界”の発見
を読んだ。

BLUE BACKSは一般人向けに学問・技術を解説してくれるシリーズとして有名ですが、本書も「中学生にも分かる」というだけあって、読みやすいものでした。

内容は主に、数学と論理学に関することで、
個人的には得意な分野ではありません(笑)

それでも、理系学問の面白いところは、アイデアにあふれてるという所です。
特に哲学、数学、物理学などの論理の部分は誰でも分かるアイデアが色々とあるように思います。

例えば、本書だけでも、
「無限を数えるにはどうすれば良いか」
「線分と平面を埋め尽くす点の濃度が等しいことの証明」
「無限個の部屋に無限人の客がやってきて満室になってしまったホテルに
 さらに無限人の客を泊める方法」
など、思わず身を乗り出したくなる(?)アイデアがあります。

下手に数学を一から理解しよう、と思わず、
「小説でも読むように」(本書より)読んでみるのが良さそうです。

オススメ度★★★

おもしろげなリンク
プログラマのための「ゲーデルの不完全性定理」

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藤原正彦 - 国家の品格

2006/01/11

国家の品格
国家の品格
を読んだ。

タイトルのわりに、読みやすい本です。
冒頭に「半分は誤りと勘違い、残りの半分は誇張と大風呂敷」という一節がありますが、まあ、そうかも、という内容(笑)
ある意味煽っているような内容です。

ただ、あらゆる本がそうであるように、考えるきっかけと、指標を与えてくれるのは確かです。

そもそも本にズバリ解が書いてあることは、まれなことだと思いますが。
(このことについて書いてたら長くなりそうだったので、この次に…)

今回は、道徳について考えてみました。

最近日本でも凶悪犯罪などが増えてきて、なんか変だなと思っている方も多いと思いますが、その理由の一つは、理論が蔓延し始めてきたことだと述べられています。
理論は科学や学問などの分野では非常に有用ですが、その範囲を超えて広がってきているようです。
その結果、強者が弱者を淘汰するのは当たり前となり、勝ち組・負け組という言葉を平気で使えるようになってきたのでしょう。

理論を横行させると何故良くないのかといえば、理論が完全でない上、人間も理論通りには動かないからです。

もし人間が理論に従い、合理的な判断を下せるとしたら、バブルは起こりませんし、振り込め詐欺にも引っかかりません。もちろん戦争も起きません。
しかし、世界で初めて会社ができたころから何度もバブルは起きていますし、振り込め詐欺の被害は何億円にものぼっています。地球で争いが無い日はありません。

どんなに美しい理論があっても、人間は決して理論通りにはいかないのです。

そう考えると、よく「日本は民主主義だから」「イラクを民主国家に」などと、平和・安全・平等の代名詞のように言われる「民主主義」には何の保障も無いことが分かります。

国の代表や方向性を選ぶ国民が、誤った考えを持てば、国は簡単に誤った方向に進むということです。
ヒトラー政権しかり、イラク戦争しかり、です。

人間は理論だけではダメです。

さて、そこでどうすれば良いのか、ですが、本書では、武士道を初めとする、日本固有の道徳観などを教えよとあります。

道徳は理論ではありませんから「なぜそうするのか」などは教えません。
弱い者を大勢でいじめるのは悪いことなのです。
人を殺すなどもってのほかです。
理由はありません。

…どうでしょう?

これが納得できない人は既に理論の影に飲み込まれ始めています。
全ては理論的であるべきだ、という理論万能な考え方に囚われているのです。

逆に言えば、理論的に正しいように思えることは簡単に信じてしまいます。
そして信じた理論が破綻した時、もう八方塞で絶望し、何のやる気もしなくなってしまうでしょう。
万能だったはずの理論が破綻すれば、他によりどころとなるものが無いからです。

日本そのものが理論の影に飲まれようとしている今、このようなことを叫ぶのは勇気のいることです。

何故なら理論的に説明できないことを叫ぶのは、私は頭が悪いと言っているように聞かれてしまうかもしれないからです。

しかし、道徳を捨て理論に走った結果、例えば、いじめは耐えなくなってしまいました。

「弱い者を大勢でいじめるのは良くない」
「なぜか」
「卑怯だから」
「なぜ卑怯なのは良くないのか」
「・・・・」

ここで言葉に詰まる人は多いと思います。
それは、理論的な答えを探そうとするからです。
道徳を知っている人なら「良くないものは良くないからだ」と言うでしょう。

神を知っている人なら「神はおっしゃった」となります。
これが神の正しい使い方だと思います。
戦争の理由に使うことなど、あってはならない。

私の高校の教師は、
「なぜ人を殺してはいけないか」という問いに対し、
「法律で決まっているからです」と答えました。
これではいけません。

法律に無いことは何をしても良い、ということになってしまいます。

子供であれば、子供にとっての法律・・つまり、親の目・他人の目に触れなければ万引きしてもいい、と考えてしまいます。

人間と理論が万能でない以上、ダメなものはダメ、お天道様が見ている、といった、いわば非論理的な道徳教育は絶対に必要なものだと思います。

本書は、それを再確認できるものとなりました。

オススメ度★★

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カテゴリ:, 新書・雑学

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