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森毅 - 数の現象学

2007/09/23

数の現象学を読んだ。

数学(算数含む)を習ったとき、いつの間にか当たり前になっていたこと、
あるいは「こういうものだ」と教えられたことを、検証した本。

マイナス×マイナスはなぜプラスなのか、のような実務的な内容ではない。

数学に現れる現象について、
その歴史・文化・人間を通して概念化を試みている。

そういう意味で、より深い理解に役立つ本である。

あの頃の数学がなんだったのかを知りたい方へオススメ。

数学と言っても、扱っているテーマは加減乗除、小数、分数、比くらいで、
内容的には主に小中学校でやったものだ。
この中にどれだけ深い意味が見出せることか。

数学なんて高校までは暗記科目、
なんてのが堂々とまかり通るほどつまらないことはない。

本書(選書版)には数学史のことと、
数学教育のことも書かれていて、こちらも興味深い。

結局のところ、数学が人生の役に立たなくても、
面白ければ熱中してやるもので、
熱中させられないのは、
教師が「数学は魅力が無い」と語るようなものだ、
といったことが書かれている。

確かにその通り。
そして、それが数学を暗記科目にさせているのだ。

元来、人間というものは、束縛からは知的獲得ができにくくなっている。
思考の自由によってこそ知的な獲得は可能で、その<自由>が逸脱にならないようにするのがカリキュラムの<構造>なのである。

今のゆとり教育って、明らかに<自由>が逸脱になっちゃってる気がする。
本書でも、ゆとりについてちょっと触れてるけど、
その憂いが当たってしまった感じ。

それにしても、森先生の考え方はなんとなく落ち着く。
ややこしくて、つかみどころの無いものを無理に割り切ろうとせず、
そのまま認めようとしてる感じがいい。

数学の世界にあっては、とても珍しい気もするけど。

オススメ度★★★

安田光雄氏のイラストがいい感じ。

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G.H.ハーディ - ある数学者の生涯と弁明

2007/09/14

ある数学者の生涯と弁明を読んだ。

イギリスの数学者ハーディが自身の数学観を述べたエッセイ。
数学者らしく、あるいはハーディらしく、率直かつ簡潔な文章でまとめられている。
第二部として、C.P.スノーによる「ハーディの思い出」も収録されている。

興味深い話が凝縮されているが、中でも面白いのは、
数学を実在論的な見方でとらえていることだ。

確かに、1920年代に量子力学の基礎が成立してからは、
実在する物体の基本が、直感的にはつかみどころの無いものになってしまった。

それに対する数学について、ハーディは言う。

「317」は素数であるのは私たちがそう思うからでも、
私たちの心が何らかの形でそう思うようにできているからでもなくて、
それがそうだからそうなのであり、
数学的実在がそのようにできているからである。

数学は論理の積み重ねであるから、
その意味で、吟味すればするほど、はっきりと見えてくるものであり、
その存在に確信を持てるものなのだろう。

もう一つ、面白いのは、数学に有用性があるかどうかという話。
要するに、加減剰余ができれば実生活で困らないじゃん、という話なのだが、
その意味で、確かに高度な数学というのは全く有用性が無いと言う。

では、このような数学にどのような意味があるのか。

高度で純粋な数学者は、一種の芸術家である。
他の分野の芸術と同様に、創造性が求められる。

数学の歴史は、創造の歴史でもある。

数学者は、自分から創造性が失われることをはっきりと自覚でき、
それを二度と手にすることができないことを悟る点で、
悲劇的である。

そして、その瞬間は、

思いのほか早くやってくる。
それは悲しむべきことであるが、もしそうなれば、彼はどのみち重要でなくなるし、彼のことを心配することは愚かなことである。

高度な数学は、創造物という点で、
絵画や音楽、その他の芸術と同様に価値がある。

他のいかなる芸術家の仕事の価値と種類において変わらず、ただその程度において異なる価値である。

直接、人々の幸福に関わるような有用性は無いかもしれないが、
価値を創出するという点において、数学は無意味なものではない。

オススメ度★★★

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サイモン・シン - フェルマーの最終定理

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インフェルト - ガロアの生涯

2007/09/08

それは明白なことじゃないでしょうか?

彼にとって、全ては明白であったに違いない。

サイモン・シンのフェルマーの最終定理で登場した数学者で、
もっとも興味を惹かれた人物、エヴァリスト・ガロアの伝記。

15歳で数学に出会い、20歳の若さで死に至る5年の間で、
数学史に名を残す業績をあげた人物である。

もっとも、彼の生涯は共和主義者としての生涯でもあり、
最期の決闘も、その政治的活動が原因であったとされる。

恐らく、端正な肖像画からは想像できないほどの
憎悪と苦悩のうちに生涯を終えたのであろう。

本書は伝記であるから、数学的な内容はそれほど多くなく、
主に、1830年ごろのフランスの様子を背景にガロアの活動と心情を描いている。
ガロアが若くして亡くなったこともあり、また生前数学者として認められることも無かったため、
信頼できる資料は少ないが、一つの人生を想像するに十分な内容となっている。

ガロアは人生を性急に歩みすぎた。
ほとんど唯一の理解者であった父を亡くしてから、
彼は自分を理解してくれる人を探していた。

そして、誰かに認められたかったのだろう。

そのことが彼の明晰で論理的な頭脳をして、彼を極端な行動に駆り立てた。
その結果、共和主義者としては、危険人物とされ、
数学者としては、狂人だと思われるに至った。

最高学府の理工科学校入学試験には二度落第し、
三度提出した数学論文は全て受け付けられなかった。
いずれも、ガロアの才能を見抜けなかった人々が下した結果だった。

政治犯として、投獄されたガロアは友人に語る。

ねえ、ぼくに何が欠けているか、わかりますか?
貴方にだけ打ち明けるんです。
それは、ぼくが、全身全霊で愛せる人なんです。

彼は、自分が愛し、そして愛される人を求めていた。
もし、そのような人がいたら、
彼の心の支えとなって、より偉大な数学者への道が開けたかもしれない。

そんな時に現れたエーヴ(ステファニー・ドゥモーテル)は、
彼にとって唯一の期待となっただろう。

しかし、彼女のためにガロアは死へ導かれることとなる。
エーヴには恋人がいたにも関わらず、ガロアが誘惑したというかどで、
恋人から決闘を申し込まれたのだ。

これは政治的危険人物とみなされたガロアに仕掛けられた罠であった。

いかがわしい浮気女の犠牲となって小生は死ぬ。
みじめなる一片の誹謗のなかに、わが人生は消えてゆく。

決闘までの13時間、ガロアはその頭に蓄積された数学の成果を遺すことに費やした。

2~3年分の思索を13時間でまとめなければならない。

証明が不完全であることを知りながら、
要となる概略を書き続ける。

ガロアが遺した原稿には今もその記述が残る。

もう時間がない

この時遺された原稿は、数少ない友人シュヴァリエや、
弟アルフレッドによって数学者たちに広められた。
それでも数学者たちがガロアの業績に気づくのにはさらに時間を要した。

しかし、死の当時、一介の共和主義者だったガロアは、
今日、群論の祖たる大数学者として知られている。

20世紀から現在の主要な数学・物理学の根底には
ガロア理論が生きているのである。

オススメ度★★★

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サイモン・シン - フェルマーの最終定理

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サイモン・シン - フェルマーの最終定理

2007/09/02

フェルマーの最終定理を読んだ。

常々読みたいと思っていたのを、近くの図書館で見つけたので、ついに読めた。

本書はフェルマーの最終定理にまつわる数学史のドラマをつづったものである。

まずサイモン・シンの構成力、説得力には驚愕する。
これは単に数学に興味ある人だけの本ではない。
ロマンを求める全ての人にオススメできる。
涙がにじむほどの感激で、証明の瞬間を迎えるだろう。

大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。(略)
その問題以外のことを考えてはいけない。
ただそれだけ考えるのです。それから集中を解く。
すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。
そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです。
- アンドリュー・ワイルズ

さて、問題のフェルマーの最終定理とは、以下のようなものだ。

xn+yn=zn
この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない。

よく知られたピタゴラスの定理は、nが2の時、つまり、
x2+y2=z2
である。(解の例:x=3、y=4、z=5)

ところが、このnが3以上になると解は無いというのである。

問題の意味は誰でも分かる。
しかし、これが証明されるまでに358年を費やしたのだ。

フェルマーは言った。

私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない。

そして、記すことの無いまま、世を去った。

これがどのようにして証明されたかは当然、本書を読んでいただきたいと思うが、
一応覚書として、背理法による証明の概略だけメモしておく。

・フェルマーの最終定理が間違いで、少なくとも一つの解が存在すると仮定する。
・解を持つとすると、この方程式は楕円方程式へ変換できる。
・谷村-志村予想により、全ての楕円方程式は、モジュラーでなければならない。
・しかるに、変換した方程式は、楕円方程式であるにも関わらずモジュラーでない。
・よって、フェルマーの最終定理に解が存在するという仮定は誤りであり、解が存在しないことが証明された。

また、本書を読んで、
あらゆる学問の中で最も美しいのはやはり数学かもしれないと思えた。

証明は、一分の隙も無いという意味で完全であり、絶対である。
つまりイデア的な美しさを目の前にできるのだ。

世の中に、「完全」とか「絶対」というのはそう多くない。

例えば、手に持ったボールを離したら、地面に落ちていく。
それは確かだし、恐らく地球上でその反例を見た者はいない。
ところが、それを証明するすべが無い。
「絶対に落ちる」とは言えない。

宇宙船で生まれ育った人に、
「ボールを離したら、地面に落ちていく」
ことを理解してもらえるだろうか。

数学は理解してもらえるのである。

疑問の余地が一切無い「証明」という行為ができるのは
ただ数学だけであるという点で、数学は美しいのである。

「不滅」とは愚かしい言葉かもしれないが、それが意味するものになる可能性は、たぶん数学者がいちばん高い。
G・H・ハーディ

唯一の疑問は、フェルマーが当時の数学テクニックでこの定理を証明できていたのか、ということ。
もちろんフェルマーの頭の中だけのテクニックもあったかもしれないが、
証明できていたとすれば、ワイルズのそれよりも、
もっとエレガントな解法だったりするのではないかと思ったりもする。

オススメ度★★★★★

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チャールズ・サイフェ - 異端の数ゼロ - 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念
吉永良正 - ゲーデル・不完全性定理―”理性の限界”の発見

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チャールズ・サイフェ - 異端の数ゼロ - 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念

2006/10/09

異端の数ゼロ
異端の数ゼロ
を読んだ。

0と、0と共にある無限による、数学・物理・哲学の歴史が紹介されています。

先日紹介した「地球が丸くないことの数学的証明」は、本書から一部引用したものです。

あの証明は明らかに結論が間違っているのですが、
どこがまずいのかと言うと、

(a+b)(a-b)=a(a-b)

が出てきた後、

両辺を(a-b)で割る。

としてしまったことです。
aとbは1としてありましたから、a-bは0です。
両辺を0で割ってしまったために、有は無である、という結論が導き出されてしまいました。

数字でありながら、他とは明らかに違う性質を持つ0。
この0と無限を克服する理論を作り上げては、また0と無限が現れ、さらに克服する理論を・・・
という流れが見えてきます。
科学の歴史は0と無限を克服してきた歴史のようです。

0と無限が結びつく面白い例があります。

■有理数の大きさは0!?

まず、数には有理数(割り切れる数)と無理数(円周率のようにどこまでも続く数)があります。
どちらも無限にあるのですが、その集合の大きさは、
無理数よりも有理数のほうが小さいことがわかっています。

では、有理数はどのくらいの大きさなのでしょうか。

これを風呂敷の大きさで考えてみましょう。

有理数は無限にあるのですが、
手始めに、3という有理数を考えて、これを包み込む風呂敷を考えます。
とりあえず3を挟んだ数、2.5~3.5という大きさが1の風呂敷なら包めそうです。

さて、次の有理数にとりかかりましょう。
例えば4も有理数ですね。
では、これを3.75~4.25という大きさが0.5の風呂敷で包みます。

先ほどは1の大きさでしたが、今度は0.5です。次は0.25の大きさで包みます。
この手順を無限に繰り返します。

1+0.5+0.25+0.125+…

これを無限に繰り返した場合の極限値は2になります。
つまり、有理数の大きさは2程度ということになります。
割と小さそうですね。

ところで、さっきは大きさが1の風呂敷から始めましたが、
別に大きさ0.5の風呂敷から初めてもよさそうですね。

そうすると、0.5+0.25+0.125+…
今度はせいぜい1くらいの大きさです。

次は0.25の大きさから初めて…

と、これを極限まで繰り返すと、なんと無限にある有理数の占める大きさは0になります。

■無限の和

次はもっと分かりやすい無限が0にも1にもなる話。

1-1+1-1+1-1+1-1+…(以降無限に続く)

この式の答えは何か。

(1-1)+(1-1)+(1-1)+(1-1)+…

こう考えれば0+0+0+0+…となり、明らかに0に見えます。
ところが、

1+(-1+1)+(-1+1)+(-1+1)+…

と考えた場合、1+0+0+0+…となり、今度は明らかに1となります。

などなど、面白い話が随所に現れます。
このような本では、いつもその想像力・創造力に驚かされます。

オススメ度★★★

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地球が丸くないことの数学的証明

2006/10/07

aとbがそれぞれ1に等しいとする。aとbは等しいから、

b2 = ab (等式1)

aはそれ自身に等しいから、

a2 = a2 (等式2)

等式2から等式1を引くと、

a2-b2 = a2-ab

この等式を因数分解する。

(a+b)(a-b)=a(a-b)

両辺を(a-b)で割る。

a + b = a

両辺からaを引く。

b = 0

冒頭の設定により、b = 1

よって、

1 = 0

ところで、地球は丸い。
従って、地球は丸くない。

証明終わり。

→どこが変なのか

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吉永良正 - ゲーデル・不完全性定理―”理性の限界”の発見

2006/08/24

ゲーデル・不完全性定理
ゲーデル・不完全性定理―”理性の限界”の発見
を読んだ。

BLUE BACKSは一般人向けに学問・技術を解説してくれるシリーズとして有名ですが、本書も「中学生にも分かる」というだけあって、読みやすいものでした。

内容は主に、数学と論理学に関することで、
個人的には得意な分野ではありません(笑)

それでも、理系学問の面白いところは、アイデアにあふれてるという所です。
特に哲学、数学、物理学などの論理の部分は誰でも分かるアイデアが色々とあるように思います。

例えば、本書だけでも、
「無限を数えるにはどうすれば良いか」
「線分と平面を埋め尽くす点の濃度が等しいことの証明」
「無限個の部屋に無限人の客がやってきて満室になってしまったホテルに
 さらに無限人の客を泊める方法」
など、思わず身を乗り出したくなる(?)アイデアがあります。

下手に数学を一から理解しよう、と思わず、
「小説でも読むように」(本書より)読んでみるのが良さそうです。

オススメ度★★★

おもしろげなリンク
プログラマのための「ゲーデルの不完全性定理」

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