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夏目漱石 - 行人

2008/09/13

行人を読んだ。

一郎の苦悩を弟や、一郎の友人の視点から描いた作品。

一郎は苦悩を脱したい、あるいは脱することができるはずなのに、脱しない、そんな人だ。
そして、この苦悩からは逃れられない運命にある気がする。

なぜという具体的な理由は無いのだが、
自分と一郎のシンクロ率がかなり高い気がするので、なんとなくそう思うのだ(笑)

以前、漱石作品が好きな理由に、登場人物中に自分と似た人が出てくるから、
というのを挙げたが、今回は一郎である。

苦悩の原因を探り、解明しようとしてまた苦しむ。
しかも解明したところで、どうもならないのはよく分かっている。

途中出てくる比喩がうまい。
「山がある。その山を呼び寄せるが、山は来ない。だから自分のほうから山へ行く。」
一郎は山を呼び続け、疲れ果てるのである。
そして恐らく自分のほうから山へ行かなくてはならないことを知りつつ、
それでも呼び続けることをやめられない。

周囲から見れば、結局ただの厄介者である。
その厄介な様子が、他人の視点を通じて、表面から内面までよく表現できている。
個人的には結構好きな作品。

ただ、よく分からない人にはよく分からない本なんだろうな、という気もする。

兄さんがこの眠から永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時にもしこの眠から永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします

オススメ度★★★

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夏目漱石 - 彼岸過迄

関連リンク:
青空文庫 夏目漱石 行人

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夏目漱石 - 二百十日・野分

2008/08/16

二百十日と、野分を読んだ。

二百十日のほうは会話主体でさくっと読める。
友人同士の二人があれこれ話しながら山に登る話。
主張しつつ笑いどころもある佳作だと思う。

作品としてもっと良かったのは野分のほう。
3点ほど印象に残った箇所を。

1.漱石らしい自己本位の主張

一能の士は一能に拘泥(こうでい)し、一芸の人は一芸に拘泥して己れを苦しめている。
(中略)
「自己が拘泥するのは他人が自己に注意を集注すると思うからで、つまりは他人が拘泥するからである。……」

わが道を行くべく、拘泥しないために、
一、他人が自分の何かに拘泥しても、自分は拘泥しないこと
これは難しい。

二、拘泥しなくてすむように大樹に寄る。時流に従う。
これはやりやすい。

いずれにしろ、むやみに他人の視線に拘り、
つまらないことで時間をとられて、
成すべきことを成せない、ということが無いようにせよという主張。

2.観察眼が光るシーン

ここだけ抜き出すと分かりづらいかもしれないが、
親友(高柳君)を結婚披露宴に招いたシーン。
高柳君は予想外にみすぼらしい姿でやってくる。

世の中は「これは」と思った時、引き返せぬものである。高柳君は蹌踉(そうろう)として進んでくる。夫婦の胸にはっときざした「これは」は、すぐと愛の光りに姿をかくす。
「やあ、よく来てくれた。あまり遅いから、どうしたかと思って心配していたところだった」偽りもない事実である。ただ「これは」と思った事だけを略したまでである。
「早く来ようと思ったが、つい用があって……」これも事実である。けれどもやはり「これは」が略されている。人間の交際にはいつでも「これは」が略される。略された「これは」が重なると、喧嘩なしの絶交となる。親しき夫婦、親しき朋友が、腹のなかの「これは、これは」でなし崩しに愛想をつかし合っている。

漱石作品はこういう描写が多くて面白い。

3.最終シーン

これも流れの中でのことなので、抜き出して紹介するのは難しいが、
クライマックスの盛り上げ方はいつもすごいと思う。
彼岸過迄なんかもだったけど、
停滞気味な流れから急展開させることによる迫力は相当なもん。
それをラストにもってくるんだからつい感動してしまう。

この辺は魅せ方のうまさだなー。
重要な主張はもっと地味にやってるけど、物語としてエキサイトさせることも忘れてない感じ。

オススメ度★★★

関連記事:
夏目漱石 - 彼岸過迄

関連リンク:
青空文庫 夏目漱石 野分

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夏目漱石 - 彼岸過迄

2007/12/26

彼岸過迄を読んだ。

元旦から書き始めて、彼岸過ぎ迄書くから、彼岸過迄という題。
なので、内容とは全然関係無い。

それはさておき……
漱石の作品は、登場人物に一人は自分と似た人が出てくる率が高いから好きだ。

完全に同じではないけど、考え方の端々が似てる。
誰か一人でなく、複数の登場人物にまたがることもある。

本作では、須永を中心に、敬太郎、松本あたりがそれだ。

無駄に色々悩んで、一人で神経すり減らすタイプorz

悩むのはいいが、考えすぎはダメだ、
と言いたくなるような感じかもしれない。

話としては、とりとめのないようで、意外と起承転結があるような、
読み終わってみると、かなり好きな作品になっていた。

虞美人草の時に、漱石は「書いているうちに登場人物が勝手に歩いてくれるでしょう」といったことを言ってたけど、
この作品で初めて勝手に歩く登場人物を見た気がする。

特に、ヤマ場は、須永の話の終盤。

幼馴染の千代子と、それとなく将来は結婚か、というところで、
やっぱり家族のように育ってきた千代子とは夫婦という感じでもないし、
かと言って、他の人との結婚は考えられないし、といったふう。

作中では、須永の視点で一方的な思考が語られるわけだが、
そこはやっぱり、独りよがり&思い込みがちな思考になる。

千代子に対しては、兄妹のような感覚を持ちながら、
一方で見栄もあり、一人で微妙な牽制をしているのだが、
明らかに結婚候補っぽい人物が現れた終盤……

千代子に卑怯だと言われ、卑怯の意味が、
自分の引っ込み思案なところに向けられたものだと思う須永と、
自分の言う所の意味を分かってもらえない千代子。

「じゃ卑怯の意味を話してあげます」と云って千代子は泣き出した。

この涙に半分引き気味の須永。

僕は心を動かす所なく、彼女の涙の間から如何なる説明が出るだろうと待ち設けた。
彼女の唇を洩れるものは、自己の体面を飾る強弁より外に何も有る筈がないと、僕は固く信じていたからである。

千代子は、須永が自分を馬鹿にしており、
そして、結局自分と結婚する気が無いのだと須永に訴える。

「唯何故愛してもいず、細君にもしようと思っていない妾(わたし)に対して……」
彼女は此処へ来て急に口籠った。不敏な僕はその後へ何が出て来るのかまだ覚(さと)れなかった。

続きを促す須永に、千代子は答える。

彼女は突然物を衝き破った風に、
「何故嫉妬なさるんです」と云い切って、前より劇しく泣き出した。
僕はさっと血が顔に上る時の熱りを両方の頬に感じた。

うわー、ばれてるー!と思った。
確かに須永は嫉妬していた。しかし、それは心に秘めたものであって、
決して他人に分かるはずは無かった。無いと思っていた。
(何しろ須永自身よく分かっていなかったのだ)

そんな須永視点に完全にひたりきってた所で、このセリフは効く。

この瞬間、彼らは漱石の創作した人物ではなくなっていた。

なんとなく間延びした展開がここで一気に締められ、
余韻を残しつつ、最後の松本と、敬太郎の話が続く。

もちろん、読みどころは他にもある。
たぶん読むたびに新しい発見があるんじゃないかと思う。
とりあえずは大学生くらいの方にオススメ。

オススメ度★★★★

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夏目漱石 - 私の個人主義

2007/12/15

青空文庫にあった「私の個人主義」をさくっと読んだ。

漱石が自分の道をどう歩いたかについて。
学習院大学での講演なので、要点だけが語られている。

今の生活よりも、自分に合った生活があるんじゃないだろうか。
チャンスがあったら、そちらへ飛んでやろう、という気持ち。
そういう根無し草のような感覚を持っていたと言うのは分かるなー。

それは結局、自己本位になりきれていないということに気づいて、
悟ったように道が開ける、という流れ。

自己本位というのは、自分で考え、自分で判断し、自分なりの価値を持つことだ。

他人の説明で自分自身を納得させない。
疑問を持ったら自分で調べて、考えて、判断する。
他人の説明は文字通り「助言」に過ぎない。

と、言われてみれば、なんのことはない。
とっくにそう思ってるぜ、なんて思いながら、
気が付くとフワフワしてる自分に自戒の念をこめつつ、再確認。

自分にとって、漱石って苦悩の人っていうイメージがあるんだけど、
苦悩のうちに道を見出す、みたいな所が好きだな。

たぶん頭の中で、あーでもない、こーでもない、というのがものすごくあったと思う。
そして、そういうのが色んな作品中で描写されてる。

行動だけ見れば至って普通なのに、そこに至る思考プロセスの描写が面白いんだな。

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夏目漱石 - 門

2007/10/08

門を読んだ。

三四郎、それから、に続く前期三部作と呼ばれるものの最後。

宗助が、友人安井と同棲していた御米を、半ば奪う形で結婚し、
そのために背徳者として、家と世間から切り離されて暮らす話。

決して、御米が嫌がってるわけではない。
むしろ二人で一つ、お互いがいれば他には何もいらない、
というくらいの仲。

背徳という闇の中にともる灯火のような二人だが、
決して不幸には見えない。

実際彼らは不幸ではなかったが、
不幸でないことを自覚しているわけでもない。

ただ世間の風雨を人一倍感じざるをえないだけである。

背徳者だけが感じる不安が巧妙に描かれている。

最後の御米と宗助の会話。

御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、
「本当にありがたいわね。漸くの事春になって」といって、晴れ晴れしい眉を張った。
宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。

このシーンは、そのまま冒頭のシーンにつなげることもできる。
季節がめぐるように訪れる、終わることのない不安を暗示している。

以下、深読みコーナー。

大家さんが饅頭をごちそうしてくれる場面。

主人は箸とも楊枝とも片の付かないもので、無雑作に饅頭を割って、むしゃむしゃ食い始めた。宗助も顰に倣った。

というくだりがあるのだが、「顰(ひそみ)に倣う」というのは、「真似すること」を謙遜した言い方だ。

この語源を調べてみると面白い。
「顰に倣う」は「西施(せいし)の顰に倣う」という中国の話から来ていて、
その話は以下のようなものである。

春秋時代、西施という美女がいた。
西施が胸の病で、苦しみ、眉をひそめていたところ、
それを見た醜女が美しいと思い、自分も真似をしたところ、
あまりの醜さに金持ちの村人は門を閉ざし、
貧乏人は逃げ出した。

この逸話は漱石も知っていたんじゃないかと思うが、
門というテーマにひっかけていたとしたら面白い。

…まあ、たぶんそんなことは無くて、
たまたま使おうと思った言葉と逸話が関係あるっぽいだけだろうが。

オススメ度★★★★

関連記事:
夏目漱石 - 三四郎
夏目漱石 - それから

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夏目漱石 - 夢十夜

2007/09/05

夢十夜を読んだ。

他、『文鳥』と、『永日小品』が収められている。いずれも、短編。
日常の一片を切り出した作品が魅力的。

自分は何処へ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事が出来ずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。
夢十夜 第七夜

このあたりの表現は、さすがに目を上げて考えさせる力があるが、
漱石くらいにもなると、ちょっと平凡な気もした。
それよりは、以下のような文が面白いと思った。

幾何の説明をやる時に、どうしても一所になるべき線が、一所にならないで困ったことがある。
ところが込み入った図を、太い線で書いているうちに、その線が二つ、黒板の上で重なり合って一所になってくれたのは嬉しかった。
永日小品 変化

なんだかこっちまで嬉しくなってしまう。

オススメ度★★★

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夏目漱石 - 虞美人草

2007/06/28

虞美人草を読んだ。

青空文庫に全編収録されている。

文章は饒舌だけど、いやらしくない。
それでいて、この長編を破綻させずに描ききっている。
一度ハマると夢心地にさせてくれる。

一文あらすじ・・
かつて京都に住む恩師の娘と将来を(ほぼ)約束していた小野さんが、
東京で勉強しているうちに女王様風の藤尾といい仲になるが、
ものの道理を第一義とする友に諭され、元の鞘に収まり、
藤尾は怒り心頭の末、死んでしまう。

話の展開は分かりやすいし、キャラも立っているが、微妙な点もある。

・漱石先生は藤尾に早く死んで欲しいとすら思っていたらしいが、
 藤尾がそれほど憎らしげには描かれていない。

・藤尾を嫁にしようとしていた宗近さんが、藤尾と小野さんを引き離す。
 もちろん単なる恋路の邪魔ではないと言ってるし、実際そうだと思うが、ちょっとひっかかる。

・小野さん、最後の心変わりが早くて不自然。

特に後半~ラストにかけて、「えっ、そうなるの」みたいな展開だった。

それでも、やはり見所満載の小説であることに間違いない。

その中の一つ。
博覧会で観客が押し合いへし合いの一幕。

小夜子は夢のように心細くなる。
孤堂先生は過去の人間を圧し潰すために皆が揉むのではないかと恐ろしがる。
小野さんだけは比較的得意である。
多勢の間に立って、多数より優れたりとの自覚あるものは、身動きが出来ぬ時ですら得意である。

小夜子と先生は京都から東京へ出てきたばかり。
一方小野さんはもうすぐ博士になろうかという東京人。

わずか3人の人物の表現で
世の中という、大きくてつかみどころの無いものを感じ取ることができる。

この博覧会のシーンは、世の中に対する鋭い視点が光る。

博覧会は当世である。
イルミネーションはもっとも当世である。
驚ろかんとしてここにあつまる者は皆当世的の男と女である。
ただあっと云って、当世的に生存の自覚を強くするためである。
御互に御互の顔を見て、御互の世は当世だと黙契して、
自己の勢力を多数と認識したる後(のち)家に帰って安眠するためである。

ふと思い浮かんだのはインテレサントという言葉。

当世的な人々を驚かそうとする行為がつまり
インテレサントということなのだろうか。

オススメ度★★★

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夏目漱石 - 三四郎

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