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小林多喜二 - 蟹工船

2008/01/23

蟹工船を読んだ。

社会科の授業などでも一度は出てくる有名本。
例によってタイトルしか知らなかったので、読んでみた。

内容はご存知の通り、労働者の過酷な労働と搾取について。
でも、実際どういう話かは知らない人も多いかと思う。

あらすじは以下のとおり。
カニを獲るために地方の労働者が半分だまされた形で集められ、
劣悪な条件の中、死人の出るほど過酷な労働を強いられる。
耐え切れなくなった労働者は、団結し立ち上がらなければならないことを自ら知る。
一度は失敗し、全てのリーダーが捕らえられるが、
その後すぐに全労働者が立ち上がり、抵抗活動を成功させる。

「日本、まだ、まだ駄目。働く人、これ。(腰をかがめて縮こまってみせる)働かない人、これ。(偉張って、相手をなぐり倒す恰好)それ、みんな駄目! 働く人、これ。(形相凄(すご)く立ち上る、突ッかかって行く恰好。相手をなぐり倒し、フンづける真似)働かない人、これ。(逃げる恰好)――日本、働く人ばかり、いい国。――プロレタリアの国! ――分る?」

労働者(プロレタリア)がいなければ、資本家は何もできない、
という当たり前のことだが、労働者全員が真に自覚するのは難しいことだ。

本作はかなりの部分が「過酷な労働」の描写にページが割かれているが、
重要なのは、最後の最後「リーダーがいなくなっても立ち上がる人々」というところだと思う。

一部のリーダーに頼りきっていることと、資本家の下の労働者でいることは、
判断を他人にゆだねるという点においては同じことだ。

リーダーを失った時、それでも進むべき道を進めるか。

そんなメッセージが、本書を単なるドキュメンタリーで終わらせない、
時代の刹那に普遍性を見出す、名作たる所以であるように思う。

オススメ度★★★

関連リンク:
青空文庫 小林多喜二 - 蟹工船

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夏目漱石 - 彼岸過迄

2007/12/26

彼岸過迄を読んだ。

元旦から書き始めて、彼岸過ぎ迄書くから、彼岸過迄という題。
なので、内容とは全然関係無い。

それはさておき……
漱石の作品は、登場人物に一人は自分と似た人が出てくる率が高いから好きだ。

完全に同じではないけど、考え方の端々が似てる。
誰か一人でなく、複数の登場人物にまたがることもある。

本作では、須永を中心に、敬太郎、松本あたりがそれだ。

無駄に色々悩んで、一人で神経すり減らすタイプorz

悩むのはいいが、考えすぎはダメだ、
と言いたくなるような感じかもしれない。

話としては、とりとめのないようで、意外と起承転結があるような、
読み終わってみると、かなり好きな作品になっていた。

虞美人草の時に、漱石は「書いているうちに登場人物が勝手に歩いてくれるでしょう」といったことを言ってたけど、
この作品で初めて勝手に歩く登場人物を見た気がする。

特に、ヤマ場は、須永の話の終盤。

幼馴染の千代子と、それとなく将来は結婚か、というところで、
やっぱり家族のように育ってきた千代子とは夫婦という感じでもないし、
かと言って、他の人との結婚は考えられないし、といったふう。

作中では、須永の視点で一方的な思考が語られるわけだが、
そこはやっぱり、独りよがり&思い込みがちな思考になる。

千代子に対しては、兄妹のような感覚を持ちながら、
一方で見栄もあり、一人で微妙な牽制をしているのだが、
明らかに結婚候補っぽい人物が現れた終盤……

千代子に卑怯だと言われ、卑怯の意味が、
自分の引っ込み思案なところに向けられたものだと思う須永と、
自分の言う所の意味を分かってもらえない千代子。

「じゃ卑怯の意味を話してあげます」と云って千代子は泣き出した。

この涙に半分引き気味の須永。

僕は心を動かす所なく、彼女の涙の間から如何なる説明が出るだろうと待ち設けた。
彼女の唇を洩れるものは、自己の体面を飾る強弁より外に何も有る筈がないと、僕は固く信じていたからである。

千代子は、須永が自分を馬鹿にしており、
そして、結局自分と結婚する気が無いのだと須永に訴える。

「唯何故愛してもいず、細君にもしようと思っていない妾(わたし)に対して……」
彼女は此処へ来て急に口籠った。不敏な僕はその後へ何が出て来るのかまだ覚(さと)れなかった。

続きを促す須永に、千代子は答える。

彼女は突然物を衝き破った風に、
「何故嫉妬なさるんです」と云い切って、前より劇しく泣き出した。
僕はさっと血が顔に上る時の熱りを両方の頬に感じた。

うわー、ばれてるー!と思った。
確かに須永は嫉妬していた。しかし、それは心に秘めたものであって、
決して他人に分かるはずは無かった。無いと思っていた。
(何しろ須永自身よく分かっていなかったのだ)

そんな須永視点に完全にひたりきってた所で、このセリフは効く。

この瞬間、彼らは漱石の創作した人物ではなくなっていた。

なんとなく間延びした展開がここで一気に締められ、
余韻を残しつつ、最後の松本と、敬太郎の話が続く。

もちろん、読みどころは他にもある。
たぶん読むたびに新しい発見があるんじゃないかと思う。
とりあえずは大学生くらいの方にオススメ。

オススメ度★★★★

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スティーヴンソン - ジーキル博士とハイド氏

2007/12/01

ジーキル博士とハイド氏を読んだ。

ちなみに、著者はジムやシルバー船長の「宝島」を書いた人。

二重人格の代名詞とも言える本作は、
知ってはいるけど、読んだことない、というパターンの一冊。

想像通り、ジーキル博士が薬によって、ハイド氏になったはいいが、
ハイド氏になった時の凶行を苦に、最後は死んでしまう話。

基本的には、ジーキル博士とハイド氏の関係を探っている、
友人アタスンの視点で話が展開される。

一番のポイントはやっぱり最後の博士の告白文だろうと思う。
この文で、本作がただの二重人格サスペンスでないことを知るだろう。

ジーキル博士はいわば善良な市民であった。
社会の中で、善良な市民として暮らすということは、
それなりに他者に気を使うということである。

それは普通のことではあるが、やはりこのストレスに耐えがたい人もいる。

善良に見えるほど、あるいはそういう傾向があるかもしれない。

博士は抑圧された悪の自己を具現化させる薬を開発した。

誰しもが心に持ってはいるが、決して人前には見せない部分、
そんな部分だけでできた人間がハイド氏である。

ハイド氏は本質的に醜く、不愉快な存在だ。

これは、誰しもが持ちながら、しかし人前では抑圧されるべき存在である。

それは誰もが自覚する。
「自分の中に、抑圧されているもう一人の自分がいる」と。

だからこそ、人は不愉快極まりないハイド氏に、
人間の本質を見出す。

悪の部分を呼び起こし、頭では善へ帰りたいと思いながらも、
抗いようもなく悪に冒されていくジーキル博士に、
同情の念を抱かずにはいられない。

イギリスでこのような作品が生れ、語り継がれたということは、
イギリスがジェントルマンの国であることと無関係ではない、
という作品の解説は特に納得できるものだった。

オススメ度★★★

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夏目漱石 - 門

2007/10/08

門を読んだ。

三四郎、それから、に続く前期三部作と呼ばれるものの最後。

宗助が、友人安井と同棲していた御米を、半ば奪う形で結婚し、
そのために背徳者として、家と世間から切り離されて暮らす話。

決して、御米が嫌がってるわけではない。
むしろ二人で一つ、お互いがいれば他には何もいらない、
というくらいの仲。

背徳という闇の中にともる灯火のような二人だが、
決して不幸には見えない。

実際彼らは不幸ではなかったが、
不幸でないことを自覚しているわけでもない。

ただ世間の風雨を人一倍感じざるをえないだけである。

背徳者だけが感じる不安が巧妙に描かれている。

最後の御米と宗助の会話。

御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、
「本当にありがたいわね。漸くの事春になって」といって、晴れ晴れしい眉を張った。
宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。

このシーンは、そのまま冒頭のシーンにつなげることもできる。
季節がめぐるように訪れる、終わることのない不安を暗示している。

以下、深読みコーナー。

大家さんが饅頭をごちそうしてくれる場面。

主人は箸とも楊枝とも片の付かないもので、無雑作に饅頭を割って、むしゃむしゃ食い始めた。宗助も顰に倣った。

というくだりがあるのだが、「顰(ひそみ)に倣う」というのは、「真似すること」を謙遜した言い方だ。

この語源を調べてみると面白い。
「顰に倣う」は「西施(せいし)の顰に倣う」という中国の話から来ていて、
その話は以下のようなものである。

春秋時代、西施という美女がいた。
西施が胸の病で、苦しみ、眉をひそめていたところ、
それを見た醜女が美しいと思い、自分も真似をしたところ、
あまりの醜さに金持ちの村人は門を閉ざし、
貧乏人は逃げ出した。

この逸話は漱石も知っていたんじゃないかと思うが、
門というテーマにひっかけていたとしたら面白い。

…まあ、たぶんそんなことは無くて、
たまたま使おうと思った言葉と逸話が関係あるっぽいだけだろうが。

オススメ度★★★★

関連記事:
夏目漱石 - 三四郎
夏目漱石 - それから

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三島由紀夫 - 潮騒

2007/07/21

潮騒を読んだ。

一文あらすじ・・
もの静かだが、正直で気力にあふれた漁師の新治が
最近村に戻ってきた初江と恋に落ち、
障害を乗り越え、ついには公認で婚約する。

スンダールの赤と黒を読んだばかりだったので、
その勢いで読み始めたら、妙に陳腐だった。

解説を見ると、
「この作品は『赤と黒』のように読んではいけない」
と書いてある。(なんだこのタイムリーさは・・)

つまり、本作は小説ではなく物語だ、というのだ。
その視点から見ると、作品が色づき始める。生き生きとしてくる。

少年が出会い、恋し、悩み、働き、そして知る。

そういう物語だったのだ。

赤ずきんは物語であって小説ではない。
そういう素朴な力強さを感じる。

照吉は語気を強めた。
「男は気力や。気力があればええのや。

オススメ度★★★

関連記事:
スタンダール - 赤と黒
三島由紀夫 - 金閣寺

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スタンダール - 赤と黒

2007/07/19

赤と黒を読んだ。
復古王政を批判した内容だが、出版前に七月革命が起きてしまったらしい。

単なる恋愛小説ではないので、
よりよく理解するにはさらに勉強する必要があるだろうが、
やはり物語としてはジュリアンの野望と情熱に熱いものがあるので、
まずはそこに注目。

一文あらすじ・・・
野心に燃える材木商の息子ジュリアンが、
低い身分ながら、高い才知を以って上流社会へ入り、
レーナル夫人とマチルド嬢という二人の高貴な婦人と関係を持つも、
レーナル夫人の手紙を引き金に、最後は処刑されるお話。

後に発表されるパルムの僧院では、
理性を駆使した公爵夫人と、本能の赴くままのファブリス、という対比だったが、
ジュリアンの場合、二人の婦人に対してその対比をなしているような気がする。

レーナル夫人対しては、自然に出る感情、
マチルドに対しては相手の心理を探り合う理性的な感情。

特に中盤以降のマチルド攻略(!)は圧巻。
いかに相手の上に立って支配するかという心理戦にも近い
交流が心地よいスピード感で表現される。

マチルドは「自分が愛されていないのではないか」という気持ちでいなければ、
相手を愛せない、という恵まれすぎた環境ゆえの複雑な感情を持っている。

もし、相手が自分に夢中になっていると知れば、
たちどころに相手を下に置いて軽蔑してしまうのである。

当然、ジュリアンもそれを知っているし、
知っているからこそマチルドの愛を勝ち得ることができた。

しかし、この戦略的で理性的な計算の上に成り立った愛は、
「死」という本能に働きかける現象の前では
ただわずらわしいものでしかなかった。

ジュリアンがその死に際して最も欲したのは、
野心と名誉の行き着く先でもなく、才知で得たマチルドでもなく、
その感情が求めるレーナル夫人だった。

かげろうは夏の暑いさかりに朝の九時に生れて、夕方の五時には死んでしまう。どうして夜という言葉が理解できよう?

オススメ度★★★★

関連記事:
スタンダール - パルムの僧院
アベ・プレヴォ - マノン・レスコー

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夏目漱石 - 虞美人草

2007/06/28

虞美人草を読んだ。

青空文庫に全編収録されている。

文章は饒舌だけど、いやらしくない。
それでいて、この長編を破綻させずに描ききっている。
一度ハマると夢心地にさせてくれる。

一文あらすじ・・
かつて京都に住む恩師の娘と将来を(ほぼ)約束していた小野さんが、
東京で勉強しているうちに女王様風の藤尾といい仲になるが、
ものの道理を第一義とする友に諭され、元の鞘に収まり、
藤尾は怒り心頭の末、死んでしまう。

話の展開は分かりやすいし、キャラも立っているが、微妙な点もある。

・漱石先生は藤尾に早く死んで欲しいとすら思っていたらしいが、
 藤尾がそれほど憎らしげには描かれていない。

・藤尾を嫁にしようとしていた宗近さんが、藤尾と小野さんを引き離す。
 もちろん単なる恋路の邪魔ではないと言ってるし、実際そうだと思うが、ちょっとひっかかる。

・小野さん、最後の心変わりが早くて不自然。

特に後半~ラストにかけて、「えっ、そうなるの」みたいな展開だった。

それでも、やはり見所満載の小説であることに間違いない。

その中の一つ。
博覧会で観客が押し合いへし合いの一幕。

小夜子は夢のように心細くなる。
孤堂先生は過去の人間を圧し潰すために皆が揉むのではないかと恐ろしがる。
小野さんだけは比較的得意である。
多勢の間に立って、多数より優れたりとの自覚あるものは、身動きが出来ぬ時ですら得意である。

小夜子と先生は京都から東京へ出てきたばかり。
一方小野さんはもうすぐ博士になろうかという東京人。

わずか3人の人物の表現で
世の中という、大きくてつかみどころの無いものを感じ取ることができる。

この博覧会のシーンは、世の中に対する鋭い視点が光る。

博覧会は当世である。
イルミネーションはもっとも当世である。
驚ろかんとしてここにあつまる者は皆当世的の男と女である。
ただあっと云って、当世的に生存の自覚を強くするためである。
御互に御互の顔を見て、御互の世は当世だと黙契して、
自己の勢力を多数と認識したる後(のち)家に帰って安眠するためである。

ふと思い浮かんだのはインテレサントという言葉。

当世的な人々を驚かそうとする行為がつまり
インテレサントということなのだろうか。

オススメ度★★★

関連記事:
夏目漱石 - 三四郎

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