オンラインゲームはサービスであり、ゲームではない。それは世界であり、ゲームではない。それはコミュニティであり、ゲームではない。それはゲームそのものだと言う人は皆、重要な点を見落としている
「サービス化」で価格と秩序の破壊が進む  北米ソーシャルゲーム最前線(2)

ソーシャルゲームが流行り始めたころから、これはゲームか、ゲームというには程度が低くないか、なぜそんなゲームが流行るのか云々、といった話題が巻き起こり、自分でも、「ゲーム」とは言うものの従来の意味でのゲームではないと思ってはいたが、上記の言葉はその思いを的確に代弁している。

ソーシャルゲームは従来の(コンシューマゲーム的な)意味でのゲームとして売れているのではなく、サービスとして売れているということ。
それは、ソーシャルゲームを設計するうえで大きな指針になると思う。

しかし、よくよく考えると従来のゲームも十分サービス的な素質はある気がする。
たとえば、ドラクエは自分の分身をレベル上げて成長させ、姫を助け、最後は竜王倒して世界を救うという体験を提供するサービスと考えられる。
この体験の提供方法としてファミコンが選択されたわけで、それに対する対価は、ざっくり5500円と設定された。
単一の対価を設定するしかなかったのだ。
みんなが5500円払って、勇者体験サービスを楽しんだのである。

しかし、この5500円を高すぎると思った人もいれば、もっと払ってもいいからさらに楽しみたいと思った人もいるはずである。

その要望に応えることができるようになったのがソーシャルゲームだ。
例え装備が「どうのつるぎ」までしか買えなくても、お金は払わず、コツコツレベルを上げ続けて最後まで遊ぶ人もいれば、さっさと300円払って「ほのおのつるぎ」を買う人もいる。
人によっては、さらに多くのお金を払って、あらゆる武器や防具を手に入れたり、新たなシナリオを楽しむ人もいるだろう。

お金を払わない人は払わずに楽しみ、払う人は払って楽しむという感じで、ひとつのサービスを各ユーザーの価値観で楽しむことができるようになったということである。
良く言えば、ユーザーにとっては、自分の価値観に合った対価の支払いをきめ細かくできるようになったということになる。
クソゲーをつかまされて「こんなの8000円で買うんじゃなかった」と思うことがなくなるわけだ。

もちろん、ドラクエを無料で遊ばれてもいいことは無いのだが、最近のソーシャルゲームでは大体無料で遊んでくれるユーザーは、ゲームの引き立て役として重要な地位を占めている。
そのような設計になっている。

このあたりは別の議論なので、省略するが、ともかく、ソーシャルゲームをサービスとしてのゲーム提供と考えれば、ソーシャルゲームの現状についてはだいぶ理解しやすい。

ゲームはいずれ、すべてサービスへと向かっていく

って、そういうことでしょうね。