2007 9月 - しろログ

木村央志 - ゲームクリエイター作法

2007/09/29

どんなゲームを作りたいのかではなく、どんなカルチャーにするべきなのかこそが大切

ゲームクリエイター作法を読んだ。

ゲームが企画されて世の出るまでのアレコレ、
ゲームについての信念・考察がコンパクトにまとめられている。

僕が普段考えていたゲームの在り方と、
本書で考察されていた在り方のベクトルが大分似通っていたので、
興味深く読むことができた。

リアルであること、というのはどういうことかというので、
写真のボケみたいのが引き合いに出されていたが、これはピンときた。

最近のデジカメなんかは、マルチオートフォーカス機能がついてて、
これで建物を背景にスナップ写真など撮ると、
近くの人物はもちろん、遠くの建物までしっかりピントが合う。

全体としてキレイなのだが、
実際プリントしてみると、どことなく不自然で嘘っぽい感じになってしまう。

つまり、何もかも細部までしっかり写ることと、
リアルであることとは関係が無いのだ。

メインでない部分はあえてボカすこと、
これによってテーマを浮き彫りにでき、
かつリアルにもできるということになる。

ところで、ゲームで「リアル」というと、真っ先に連想されるのが
「実写に近い」というイメージなんじゃないかと思う。
そして、やっぱり時代が進むごとにゲームの映像は実写的になってきた。

しかし、ゲームがより写実的になることは
ゲームがより本質的になることにはならない。

現在のコンピューターは電気信号の0か1で動く。
その土台の上に築かれたゲームは、やはり0と1の世界でしかない。

それが良い悪いという話ではなく、
本質が0と1という世界なのだ。

ゲームとは、もとよりアレゴリーの産物なのだ、という結論に達する

本書では、ゲームの寓意性が語られるが、
ゲーム=寓意(アレゴリー)というのは、かなり本質的なところだと思う。

ゲームの土台は0と1である。
我々の世界はそうではない。

我々の世界と違う土台の上で、
我々の認識できる世界を構築すれば、
それは寓意的である。

あと、いくつかヒントっぽくて面白いもの。

(キャラ作りについて。好きなもの、○○と書き連ねるよりも)
きらいなこと、嘘。
とあるほうが、はるかにキャラクター性をつかみやすく、感情移入もできるというもの。

アクションコメディというのは、ちょっとしたこと、普通の人にとって造作のないことがうまくできない、それが笑いになるんだ。
たとえば石鹸があったとして、アクションコメディアンは、その石鹸をうまくつかむことができない。つるっと滑らせてはドタバタと大慌てする、そのさまがおかしいんだ
ローワン・アトキンソン

与えるゲームは必ず失敗する

オススメ度★★★

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カテゴリ:, 新書・雑学

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神林長平 - 小指の先の天使

2007/09/26

電子顕微鏡でもそれらを捉えることはできるが、ではそれは、なにを意味しているのか、というメタレベルでの問題をきみは解決しなくてはなるまい
なんと清浄な街

小指の先の天使を読んだ。

新旧の短編が収められている。

やっぱりすごいと思うのは、どの作品もしっかり神林ワールドになってるとこ。
書かれた年代で表現が違う印象はあるものの、
世界観そのものはブレが無い。

が、個人的にはピリッとこなかったんだよなー。

さっきの「世界観」も悪く言うと、
あー、またそれ系の話ね、という感じで。

それでも「抱いて熱く」みたいのは好きだけど(笑

あと、ハードウェアは有限だけど、
計算によって無限を表現している、みたいな考えは面白かった。
まあRPGなんかのゲームに近いものがあるけど。

図書館に並んでる本は実は中身が真っ白で、
誰かが手に取った瞬間に中身が表示される、といった感じ。

実際そういうこと考えたこともあったな。
世界というのは、たった今、自分が見て、聞いてる範囲しか存在してなくて、
家から学校へ向かうと、家は消滅して、学校がその都度、
昨日とつじつまが合うように存在し始めてるんだ、みたいな。

そして、それを反証することはできない、と。
五分前仮説みたいな感じだね。

うーん、同じ短編集なら、麦撃機の飛ぶ空のほうがオススメ。

オススメ度★★

関連記事:
神林長平 - 麦撃機の飛ぶ空

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カテゴリ:, 小説, SF

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森毅 - 数の現象学

2007/09/23

数の現象学を読んだ。

数学(算数含む)を習ったとき、いつの間にか当たり前になっていたこと、
あるいは「こういうものだ」と教えられたことを、検証した本。

マイナス×マイナスはなぜプラスなのか、のような実務的な内容ではない。

数学に現れる現象について、
その歴史・文化・人間を通して概念化を試みている。

そういう意味で、より深い理解に役立つ本である。

あの頃の数学がなんだったのかを知りたい方へオススメ。

数学と言っても、扱っているテーマは加減乗除、小数、分数、比くらいで、
内容的には主に小中学校でやったものだ。
この中にどれだけ深い意味が見出せることか。

数学なんて高校までは暗記科目、
なんてのが堂々とまかり通るほどつまらないことはない。

本書(選書版)には数学史のことと、
数学教育のことも書かれていて、こちらも興味深い。

結局のところ、数学が人生の役に立たなくても、
面白ければ熱中してやるもので、
熱中させられないのは、
教師が「数学は魅力が無い」と語るようなものだ、
といったことが書かれている。

確かにその通り。
そして、それが数学を暗記科目にさせているのだ。

元来、人間というものは、束縛からは知的獲得ができにくくなっている。
思考の自由によってこそ知的な獲得は可能で、その<自由>が逸脱にならないようにするのがカリキュラムの<構造>なのである。

今のゆとり教育って、明らかに<自由>が逸脱になっちゃってる気がする。
本書でも、ゆとりについてちょっと触れてるけど、
その憂いが当たってしまった感じ。

それにしても、森先生の考え方はなんとなく落ち着く。
ややこしくて、つかみどころの無いものを無理に割り切ろうとせず、
そのまま認めようとしてる感じがいい。

数学の世界にあっては、とても珍しい気もするけど。

オススメ度★★★

安田光雄氏のイラストがいい感じ。

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カテゴリ:, 学問・研究

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ファミコンのピコピコ音を手軽に楽しむ

2007/09/20

「あの音」になんとも言えない郷愁と高揚を覚える人へ。

1.http://www.yomogi.sakura.ne.jp/~si/SolidImage/
のTSS Clipboard Player BetaをDL。
今日現在、「tcpv0711.zip(278kB)」ってやつ。

2.解凍したファイルの中の「tcp.exe」をダブルクリックして起動。

3.↓この範囲を全部選択して、Ctrl+C。(コピー)

t130%1@4v10s0q16l8$o6d2a2g4f4e4c4 d2<c4>gaf4gfe4c4 d1^1
[r4e4d4a4|e1]g2e4c4 >b-.<c.d>a4g4<c2>a4g4 a2.<dea1;
%1@2v8k1s0$o5l8q6[2fafaeaeadadacgcg]q16g-1f1
l16q12da<[3dr>|frar<] ea<[3cr>|erar<]dfardrfr>b-r<drfrar eg<cr>ergr>ar<crergr
>b-<dfr>b-r<dr>grb-r<dr>b-r gb-<e-r>grb-r<d-re-r>b-r<d-r
d-e<d-r>d-rer<d-r>drerar eg<d-r>ergr<d-r>ergr<d-r;
#G=l8d<d16r16rr>rdrd;
%5@3l16v15s0q16$o5[2drf8>d8<f8cre8>c8<e8>b-r<d8>>b-8<<d8>ar<c8>>a8<<c8]
>[4drar<dr>ar]GG(-2)G(-4)G(-5)G(-7)G(2)>[2a<a16r16rrra>ra];

4.感涙

5.orz

t150%1@2l16[4o3b<bca+]e8.f32f+32>a+8;

関連リンク:
TSSCP まとめwiki:曲データなど多数。
(上記データはTop / TSSデータ / FCその他 / RPG ADV / ドラゴンクエスト2より引用)
TSS MML Manual:MMLの制御文、コマンド等のマニュアル

via 某ギルドのるあさん

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カテゴリ:つれづれ, ゲーム

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ドストエフスキー - 悪霊

2007/09/17

悪霊を読んだ。

1861年農奴解放令以後のロシアの混沌とした様子を、
実際にあった事件を元に描いた大作。

題名は、ルカ福音書第八章32-36節より。

人に憑いていた悪霊がイエスの許しによって、
人から出て豚にとり憑くと、豚は崖から湖に飛び込み溺死した。
というところから来ている。

本作を読むに当たっては、焦点の当て方が沢山あると思うが、
やはり気になるのはスタヴローギン。

主人公でありながら、どうにもつかみどころが無い人だが、
「スタヴローギンの告白」を読むと納得できることも多い。

問題は、生きていくのが気が狂いそうなほど退屈なことであった。

退屈とか、ヒマっていうのは結構危険なもので、
学問や哲学の始まりはここにあるのだが、
思想というものがしばしば破滅へ至るのは、退屈が根本にあるからだと思う。

退屈から始まった哲学が、退屈に立ち返るわけにはいかないのだ。

「暇つぶし」という概念があり、
しかもそれに夢中になることができるのは、
人間の自己防衛本能のせいかもしれない。

まあ、とにかく、ヒマをつぶせずに、あれこれ考え始めると、
とんでもない結果に辿り着いたりする。

結局のところ、学問が発達するというのは、暇人が増えるからで、
そういう暇人が発達させる学問の行く末には
破滅が待ってるんじゃないかという気にもなってくるので困った。

発見の先に何を発見するのだろう。

神、あるいは無。
(この二つは同一のものに思える)

その事実に人間が耐えられるのかどうか。
少なくともスタヴローギンやキリーロフは耐えることができなかったのだ。

オススメ度★★★

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カテゴリ:, 小説, 哲学・人生

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G.H.ハーディ - ある数学者の生涯と弁明

2007/09/14

ある数学者の生涯と弁明を読んだ。

イギリスの数学者ハーディが自身の数学観を述べたエッセイ。
数学者らしく、あるいはハーディらしく、率直かつ簡潔な文章でまとめられている。
第二部として、C.P.スノーによる「ハーディの思い出」も収録されている。

興味深い話が凝縮されているが、中でも面白いのは、
数学を実在論的な見方でとらえていることだ。

確かに、1920年代に量子力学の基礎が成立してからは、
実在する物体の基本が、直感的にはつかみどころの無いものになってしまった。

それに対する数学について、ハーディは言う。

「317」は素数であるのは私たちがそう思うからでも、
私たちの心が何らかの形でそう思うようにできているからでもなくて、
それがそうだからそうなのであり、
数学的実在がそのようにできているからである。

数学は論理の積み重ねであるから、
その意味で、吟味すればするほど、はっきりと見えてくるものであり、
その存在に確信を持てるものなのだろう。

もう一つ、面白いのは、数学に有用性があるかどうかという話。
要するに、加減剰余ができれば実生活で困らないじゃん、という話なのだが、
その意味で、確かに高度な数学というのは全く有用性が無いと言う。

では、このような数学にどのような意味があるのか。

高度で純粋な数学者は、一種の芸術家である。
他の分野の芸術と同様に、創造性が求められる。

数学の歴史は、創造の歴史でもある。

数学者は、自分から創造性が失われることをはっきりと自覚でき、
それを二度と手にすることができないことを悟る点で、
悲劇的である。

そして、その瞬間は、

思いのほか早くやってくる。
それは悲しむべきことであるが、もしそうなれば、彼はどのみち重要でなくなるし、彼のことを心配することは愚かなことである。

高度な数学は、創造物という点で、
絵画や音楽、その他の芸術と同様に価値がある。

他のいかなる芸術家の仕事の価値と種類において変わらず、ただその程度において異なる価値である。

直接、人々の幸福に関わるような有用性は無いかもしれないが、
価値を創出するという点において、数学は無意味なものではない。

オススメ度★★★

関連記事:
サイモン・シン - フェルマーの最終定理

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カテゴリ:, 学問・研究

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神林長平 - 死して咲く花、実のある夢

2007/09/11

死して咲く花、実のある夢を読んだ。

この世には二種類の人間がいる。
死んでいることに気づいている者と、そうでない人間の二種類。

量子力学的解釈と、仏教思想を融合し、
人間の生と死、意識の問題について思索したSF長編。

量子力学ネタがあると気づく後半までは、ちょっと退屈な展開だった。
今見てる夢が夢で無い証拠は…、みたいな、
夢オチがちらついて疑心暗鬼になりつつも、
ネタに気づいてからはラストまで一気に読めた。

ただ中盤ぼーっと読んでたので、
作者の考えがしっかりつかめてないような気もする…

とりあえず、量子力学にまつわるエピソードの一つ、
「シュレーディンガーの猫」は知ってから読んだほうが面白い。

一応ここでも、シュレーディンガーの猫の話を超簡単に書いてみる。
ただし、かなり歪曲されているので、気になる人はググるか、
量子力学の雑学本でも読んでみるといいと思う。

シュレーディンガーの猫というのは、実験のことである。
ただし、頭の中だけで行う実験で、実際に行われたわけではない。

・予備知識
1.素粒子レベルの極微の世界では、量子というものが存在する。
2.量子は観測して初めて、1つの粒子として存在することが確認される。
3.観測するまでは粒子ではなく、単に「粒子が存在する確率」である。
これは粒子が飛び回っているとか、霧のようになっているという意味ではなく、
粒子の存在そのものがもやっと広がっているイメージ。
これは日常のものでは例えられない概念なので、そういうものだと思うこと。

・実験道具
1.毒ガス噴射機能付きの中が見えない箱
2.猫

重要なのは、この箱。
実は、1つの粒子の状態次第で毒ガスが噴射されるのである。

ところが粒子は、観測されるまでは量子であり、存在の確率でしかない。
つまり、箱を開けて観測し、結果を確定するまでは、
毒ガスが噴射された状態と、されてない状態が同時に成り立っていることになる。

さて、そんな箱の中に猫を入れて一時間。
今、猫は生きているのか死んでいるのか…
いや、正確に言えば、生きてもいるし、死んでもいるのである。

本作では、そんな「箱の中」を描写したような内容になっている。
もちろん、クライマックスは箱を開けて観測するシーンである。

以下、ネタバレ。

「結果」は観察者によるのでなく、
自らの意識・意思によって収縮させることができるとし、
「箱の中」にいた三人は、
一人は死を悟って彼岸へ行き、
一人は生を確信して現世に戻り、
一人は迷いを以って生まれ変わって現世に戻る。

という結果が観測されるに至る。

秋月が箱、
三人が猫、
マタタビ装置が毒薬の機械、
オットーが引き金となる粒子(量子)、と考えると結構つじつまが合うかもしれない。

しかしまあ今回は、神林氏のお話に付き合ってみた、という感じだなぁ。
あまり具体的な物理学をネタにしたのはあまり好きじゃない。
嘘っぽくなるというか、本当に無邪気な想像になるから。

ただ、僕にとって本書は、
「自分の思想を自分の型で表現する」のがどういうことか、
というのが分かる一冊だった。

人間というのはそのように世界を解釈したり想像する能力があって
あとがき

(あらゆる意味で)世界を解釈する、というのが表現のための第一歩なんだろうと思う。

オススメ度★★★

関連記事:
時をかける少女

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カテゴリ:, 小説, SF

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