芸術、人間の勝利
先日のエントリ「ゲームと芸術」の、
本質は究極的には生と死に集約される、
というところから派生させてまた考えてみた。
なぜ、我々はファミコンに飽き足らず、次世代機を求めたのか。
なぜ、ファミコンにとどまることができなかったのか。
それは、我々が原始時代にとどまれなかったのと同様だ。
より楽に暮らしたい。苦痛から逃れたい。
そんな本能の要求に従った理性は、多くの苦痛を征服してきた。
征服できないものは隠されてきた。
生老病死は常に隠蔽の対象だ。
隠蔽は理性が本能に屈した結果だ。
征服することができず、本能にその現実を突きつけることもできない。
そうして、人間は本質を・・・生と死を覆い隠そうとする。
本能に立ち向かえない理性の弱さ、
それが人間の弱さだ。
しかし、芸術家は、本質を直視する。
本能に逆らって苦しむ。
本能に逆らうのは、ただ理性のなせる業だ。
芸術は人間に課せられた使命であり、特権である。
もしそうであれば、芸術は、崇高であり、偉大であり、あるいは滑稽である。
本質を隠しながら、本質を探そうとする。
本能が隠すものを、理性が探す。
苦しみは理性と本能の叫びだ。せめぎあいだ。
苦しみから逃れよ、と本能が叫ぶ。
本能に逆らって理性が叫ぶ。
苦しみのうちに理性が勝利し、芸術が生れる。
芸術は人間の勝利の証だ。
美は人間の内にこそある。
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カテゴリ:頭の中
