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日々巡り会ったものの感想・レビュー

Category: つれづれ (page 2 of 29)

高橋留美子 – めぞん一刻

こないだ定期的にやってるAmazonプライムの無料お試し体験に登録して、ビデオも一部見放題だったので、パプリカとか見て、ああなかなか良いなと思ってたのですが、とりあえず見たいものも無くなったので、なんとなくこのタイトル見たことあるなぁと思って見始めたんですよね。テレビアニメ版。

OP曲につられて、なんとなく見始めたら止まらなくなって、とは言え、無料お試しという限られた時間でテレビアニメ版を全部見ることもできなかったので、古本屋巡りをしてコンビニ版を全巻揃えてしまいました。(安ければ100円コーナーにある!)

感想はいろいろあるんですけど、ヒロインが未亡人というのと物語の中で5年かけてそれを消化したっていうところが見事だなぁと思いました。
それを軸に、すれ違い&勘違いエピソードが螺旋状に綴られているというイメージ。

最初から構想されていたのか、だんだんそうなったのかは分かりませんが、結果的に深みのあるお話になってるなぁと。

響子さんはかわいいですよ。
アイドル的なかわいさではなくて人間的なかわいさ。

やきもち焼きで 早とちりで 泣いたり 笑ったり 怒ったり だけどその女(ひと)が微笑(わら)うと…おれは最高にしあわせなんだ

「好きなこと」を仕事にすべきか2016

漫画家を目指す読者に対して「大人はよく一番好きな事は仕事にせず、趣味にした方がいいなんていいますよ。教えます。アレはウソなんです。ずっと好きな事した方が楽しいに決まってます。(略)」
『ONE PIECE』尾田栄一郎の漫画家志望者へのメッセージが「核心をつき過ぎ!」と話題

漫画家を目指している人への鼓舞なのだろうけど、文字に起こして引用すると、やや無責任にも聞こえる。

楽しいに決まってる(生活できるとは言ってない)、みたいな。

そもそも、なぜ大人は「一番好きな事は仕事にせず、趣味にした方がいい」と言うのか。

それは一番好きな事を仕事にしたら、なんやかんや失敗して、好きだったはずのものが嫌いになっていて、ああ趣味にとどめておけば・・という後悔を念を抱いたからなんじゃなかろーか。

まあともかく、うまくいかなかった人のセリフなわけです。

で、逆に尾田氏のような発言は成功者から出てくる。

失敗したから人に勧めず、
成功したから人に勧める

伸(の)るか反るか

それだけなんじゃないか。

一方で、好きなことして成功したのに、好きは趣味にしろ、という人もいるかもしれない。

これはこれで、たぶん他力を知っている人の言葉。

二度とは無いような運やタイミング、脱落していった同志、そういうのを見てきた人。

好きなものを好きなままやっていける人もいる。

やはり、いろいろあって、好きなものが嫌いになるっていう人もいる。

好きなものは趣味にしておこうと思って、別のこと仕事にしたら、断然そっちにのめり込んでた、なんて人もいるだろう。

結局のところ、好きなものを仕事にしろ・するな、というのは、さほど重要なアドバイスにはならないんじゃないか。

無視しよう。

したいようにすべし。

「好きなこと」を仕事にすべきかどうか・・

なんて、以前も考えたよーな・・

「好きなこと」を仕事にすべきか – 美について

あった。2006年1月21日。

まじかよ。10年前かよ。

報道の自由度が低いことに驚く日本の新聞

何も期待することが無いばかりか目くらましさえしてくる新聞というものを自分はとっていないが、実家ではとっているので、帰った折、四コマ漫画やラテ欄のために手に取ることがある。

そこでなんとなく読んでみた2016年5月4日付の天声人語。
全文はこちら(要無料会員登録)

香港での言論弾圧に触れた後、

驚いたことに先日発表された国際調査では、そんな香港よりも、日本の方が「報道の自由」度が低いと判定された。(略)西欧中心の見方ではないかと思うものの、72位という順位には記者として自責の念を抑えがたい。報道の将来を思うと、焦燥感がこみ上げる(略)担当相が放送局に電波停止をちらつかせ、議員が報道機関を懲らしめる策を勉強会で披露する。あの種のふるまいがなければ、日本がここまで評判を落とすことはなかっただろう。

と書かれている。

なーにが驚いたことに、じゃ・・

朝日の(日本のと言ってもいいが)ジャーナリズム精神は本当に凋落していると感じた。

要約すると「対岸の火事を見てたら自分らのほうが燃えていてビビった。風あおったの誰よ」といったところか。
これが近所のおっさんのボヤきなら分かる。
だが仮にも大手新聞と呼ばれる新聞の一面に載っているのである。

現場では明らかに権力の圧力を感じると言い、キャスターは降板し、権力者と関係の深い市民団体が放送に対して圧力をかけている。
そんな一般市民でも知っているようなことには全く触れず「驚いたことに」「西欧中心の見方」「焦燥感がこみ上げる」ときた。
どれだけ感覚が鈍っているのだろう。

挙句の果てには、自分たちがその使命を捨て去っていることの反省もそこそこに、他人の行動にグチをこぼす。
よくもまあこんな恥ずかしい文章を載せられたものだと、呆れ果てる。

「xxだったら、日本がここまで評判を落とすことはなかっただろう」
それはすべて自分たちに向かう言葉ではないか。

権力と癒着し、権力に怯えるメディアの限界というものがはっきりと見えたし、やはり新聞など文字通りとるに足らないものだと確信した一コマであった。

# もう一つの大手機関紙は一面に権力者礼賛コラム載せちゃうようなベッタリぶりを隠そうともしないので、いっそすがすがしいですけど。

超現実的な写真あるいはツイート

また最近のツイッターから。

これも象徴的だなぁと思い。

直接的な例では、統計などのデータを自分の都合の良いように切り取って示すなど。
自分の主張を通すためには、事実を切り取り、回転させ、さも主張が当然で正しいかのように見せかける材料にする。

特にツイッターではこの手のまやかしが多い気がする。
それなりに知名度があって、影響力の大きい人でさえ、(もしかすると意図的に)使っていることもある。
短い字数でインパクトを持たせつつ、それなりに納得させようとする結果、明らかに誤謬に陥っているツイートが目につく。

最近思うのは、何かしらの現象に対する「目からウロコ」的な解釈には特に気をつけたほうがいいということ。
だいたい、重要な前提条件、歴史的背景、あるいは事実などが抜け落ちているか誤認されているか。

冒頭の写真のような発言は実に多いと思う。

似非民主主義

日本でもこの形に違和感を持たないかもしれない。
むしろ「ふむ、確かに権力者はその他大勢をねじ伏せることができるからな!言い得て妙だ」と。

内輪においては、自分も耐えているから、あなたも耐えよ。
外野においては、行動することは勝手だが、自己責任でどうぞ。
そういう空気が醸成される。

日本人のDNAというものがあるとすれば、例えばお上に楯突くことは命がけであるばかりか、下手すると連座制によって無関係な者(自分)まで巻き込まれる、というようなことが刷り込まれているのではないか、というような気さえしてくる。

あるいは(これは何かの本にあった表現だが)まず天皇を祀り上げ、真っ先に自分がそれに平伏し、周囲にもそれを強要するといったスタイル、そういった権威主義的なものがまず強く刷り込まれているのかもしれない。

とにかく民主主義についても、日本人にとっては、ここ100年程度で取って付けたような考え方であって、公正な投票の実施が民主主義、多数決が民主主義、と思っている向きも少なくないような気がする。

権威主義という実態の上から民主主義的な服を着たような感覚。

民主主義は確かに面倒である。何より、一人一人がそれなりに広く深く考えないといけない。しかも答えは無い。

「民主主義は最悪だ。民主主義以外のすべてを除外すれば」

権力は私たちに存ること、政治は私たちが信託しているのであること、その権威は私たちに由来すること。
今一度確認しなければならないように思う。

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