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日々巡り会ったものの感想・レビュー

Category: つれづれ (page 1 of 28)

「好きなこと」を仕事にすべきか – 適性について

こちら、スタジオジブリが1989年に新人アニメーターを募集した時の記事で、募集要項に加えて、業界の現状や求められる人材について過不足なく書かれていて求人広告の見本のような感じで良いなぁと思った。

その中で、お断りする方々の例として、以下のようなパターンを挙げている。

「絵が下手なんだけどアニメは大すきなんです」
「マニアなんです どんな仕事でもいいです」
「○○プロダクションで原画かいてます 一からやりなおしたい」
「無給でもいいです 現場を見たいんです」

なぜか。

この職場に何よりも必要とするのは適性だからです
意欲がなければダメですが
意欲だけでもダメです

あー、なんかコレが全てかなぁ、という気になりましたね。
平たく言えば、性に合ってるかどうか。

仕事(あるいは進路)をどう選ぶか。

今まで「好きなこと」「興味のあること」を軸に考えてたけど、土台には「適性があること」が必要なのかな、と。

「好き」っていう気持ちは、もちろん長く続くこともあるんだろうけど、30年40年続くかは分からない。
でも仕事はそういうスパンで続くわけで、好きでなくなっても続けられるか、と問われた時、少なくとも適性があれば続けられるんじゃないかという気はしてくる。

「好き」だけを支えにすると、好きでなくなった時にポキリと折れるだろう。

よく好きなことを見つける、やりたいことを見つける、というけれど、そうではなくて、性に合うことを見つける。

とりたてて好きなことも、やりたいこともない。けど、性に合うものなら・・。
そう考えると少し楽になるんじゃないだろうか。

好きで興味があって適性があれば最高だけれども、大抵の仕事はそういうものではないだろうし、数十年という長いスパンで、モチベーションMAXで取り組み続けるというわけにもいかない。

若さとパッションが失われても、ただ性に合ってる、というだけで無心で取り組めることもあるのだ。

職業は冷静に選びましょう

というのはそういうことなんじゃないかと思う。

適性を探る、そのために20代のうちに転職を繰り返してみるのは特別悪いことではない気がする。
どこでどう「適性」というものを感じ取れば良いのか、は最後にして最大の難問かもしれんけど・・。

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「好きなこと」を仕事にすべきか2016
「好きなこと」を仕事にすべきか – 美について

宮崎駿の見るAI

11/13に放映された「終わらない人 宮崎駿」を見た。

内容的には、長編引退宣言からの宮崎駿を追うもので、まあ想像通り創作は続けてるっていうのを再確認し、うんうんそうだよね、とニヤニヤして終了。

だったのだけれども、一点、AIとCGに関するシーンのことで、モヤモヤしたので、一応自分なりの整理をつけようかなというメモ。

詳しくは割愛するけど、下記が監督・川上氏の関係含めて、いい感じにざっくりまとまっている。
宮崎駿監督、ドワンゴ川上量生に激怒「生命に対する侮辱」

あとたぶん川上氏の匿名ダイアリー。
めっちゃ怒られているのがテレビで放送されてしまった

正直、両氏を直接知ってるわけでも詳しくもないので、以下、妄想に近いです。
(セリフとかは、なんとなく覚えいるものなので、厳密には違うかも)

■不用意さ

一応、IT業界の末席にいる者として、川上氏の意図するところは汲めていると思ってる。

今CGの世界でもAIが導入され始めている。
これはAIが学習し、描き出すという意味で、これまでとは次元の違う段階に入った。
それはまだ実用段階ではないけれども、その可能性、その萌芽を監督にも肌で感じて欲しい、あるいは刺激・インスピレーションの一助になれば、ということだったと思う。

鈴木Pは実務の人らしく、ゴールを問うていたが、(それに対し絵を描く機械とか言ってたけど)実際にはAIが作り出すものの面白さ、その可能性の地平を押し広げてみている段階だなのではないか。

ここで言う「AIの面白さ」というのは、動きそのものというより「人が思いもよらなかった動きを作り出せる」ことにあるのだと思う。
人はこういうふうに移動するものだ、という固定観念を壊してくれるので面白いですよね、という話で、例えば身体障害者を想起させる動作を指して面白がるものではない。

んでもって、IT系というか、理系というか、そっち方面では、こういうドライな話はわりとまかり通る。

数値とか、統計とか、形而上学的なこと、論理学的なことを常日頃考えていて、物事をどこか現実と切り離して考えてしまうクセがあったりするのだ。

感情に結びつけると、冷静な分析ができない、という意識もあるかもしれない。

ただ、今回のプレゼン相手は同業者ではないし、世代も違う。
理屈よりも感性が研ぎ澄まされている人だし、スクリーンに映し出されたものが全ての人だ。

そこでなぜグロテスクな人型を用いてしまったのかは本当に謎すぎる。
まして、痛覚も無いだとか、頭が大事とか考えてない、などと解説するのは、もう輪をかけて誤解してくださいと言っているようなもので、本当に不用意だと思った。

軽くCG周りの最新事情を紹介する程度、と思っていて深く考えなかったのかもしれない。

ただ、ことアニメ・CGという専門分野で、監督は常に超本気なのだ。

完全に宮崎駿という人を見誤った、ということなんだと思う。

■生命に対する侮辱

AIによる生体実験は生命に対する侮辱であるか。
問い自体は、非常に哲学的・倫理的な問題で、これについては置いておく。

が、監督には、侮辱であると感じられたであろうし、そう断じてもいいような気がした。

Wikipediaのアニメーションの項目には

animation(アニメーション)は、ラテン語で霊魂を意味するanima(アニマ)に由来しており、生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する

とある。

アニメーターという仕事は、命を吹き込む仕事である。

そんな仕事に人生の大半をかけてきた。

生けとし生けるものを観察するほどに、生命の神秘、あるいは畏敬の念を感じただろう。

インターネットや資料で手に入るものは情報でもなんでもない、現実に見て、触れて、五感で感じたものでないと「インプット」ではないし、アウトプットもできない。

現実とリンクしたインプットとアウトプットを繰り返して、少なくともこの世は生きるに値するものなんだ、ということを伝えるために制作に打ち込んできた。

自然界へのロケを行い、自然とは何か、命とは何か、動きとは何か、アニメートとは・・
何十年もただひたすら、それを追求してきた。

そんな人にあの映像を見せたら・・

(錬金術師がホムンクルスの生成に失敗したようなもの出して)
今、CGもAIでー、機械が自動学習でこんな動きさせるんすよー、アニメってこんな感じっしょ、へへん。

と言われたように思われても仕方がないんじゃないのか。

うむ、これは控えめに言って侮辱である・・

生涯を懸けた仕事に対する、アニメーターに対する、ひいては生に対する侮辱ではないか!

(勝手に沸点に達する音)

■なぜこのシーンを採用したのか
そもそも、いろんな誤解を生みやすそうなこのシーンをなぜサクッと入れてきたのか。

どうも、番組制作サイドの強い要望だったようだ。

匿名ダイアリーでは「あんな美味しい映像をAさんが使いたいと思うのは当然だよなと思えた」と書かれているけど、単に「美味しい」からなのか。

個人的に、本当に入れたかったのは、監督の「人間が自信をなくしてる」というセリフだったんじゃないかな、と思っている。

CGのインパクトが強すぎて、さらっと流れていったけど、これはAIに対する鋭い指摘だと思った。
もしかすると今回の番組で最も重要な指摘だったかもしれない。

で、この短い言葉を入れるには、どうしてもAIによるCGというくだりがいる。

そうであれば、いろいろ納得。

(そうでなければいやな制作だ・・)

■AI

(AIが台頭することに対して)人間の方が自信を無くしてる

さっきも書いたようにAIについて、そういう視点は持ってなかったので、衝撃だった。

(こういう視点を持てないと世に問う作品なんぞ作れないのだ・・)

個人的にAIに対しては、人間の限界というよりも、新たな可能性という視点を持っていたし、AIに携わる多くの人がそうだと思う。

コミュニケーション、自動運転、医療診断、エンターテインメント、そういった分野のAIは今後さらに拡大し、多大な恩恵があるだろう。

ただそれらの発展は、人間が無意識のうちに限界を感じ、自信を無くした結果かもしれない。

そしてAIの進化は、人間の限界を(人間が自ら無意識のうちに)より低いところへ押し下げるかもしれない。

AIに対して感じる、そこはかとない恐怖って、AIの暴走とか直接的なものだと思ってたけど、自分たちの能力や可能性を狭め続けていくかもしれないという間接的なものもあるんじゃないか、って思い始めた。

高橋留美子 – めぞん一刻

こないだ定期的にやってるAmazonプライムの無料お試し体験に登録して、ビデオも一部見放題だったので、パプリカとか見て、ああなかなか良いなと思ってたのですが、とりあえず見たいものも無くなったので、なんとなくこのタイトル見たことあるなぁと思って見始めたんですよね。テレビアニメ版。

OP曲につられて、なんとなく見始めたら止まらなくなって、とは言え、無料お試しという限られた時間でテレビアニメ版を全部見ることもできなかったので、古本屋巡りをしてコンビニ版を全巻揃えてしまいました。(安ければ100円コーナーにある!)

感想はいろいろあるんですけど、ヒロインが未亡人というのと物語の中で5年かけてそれを消化したっていうところが見事だなぁと思いました。
それを軸に、すれ違い&勘違いエピソードが螺旋状に綴られているというイメージ。

最初から構想されていたのか、だんだんそうなったのかは分かりませんが、結果的に深みのあるお話になってるなぁと。

響子さんはかわいいですよ。
アイドル的なかわいさではなくて人間的なかわいさ。

やきもち焼きで 早とちりで 泣いたり 笑ったり 怒ったり だけどその女(ひと)が微笑(わら)うと…おれは最高にしあわせなんだ

「好きなこと」を仕事にすべきか2016

漫画家を目指す読者に対して「大人はよく一番好きな事は仕事にせず、趣味にした方がいいなんていいますよ。教えます。アレはウソなんです。ずっと好きな事した方が楽しいに決まってます。(略)」
『ONE PIECE』尾田栄一郎の漫画家志望者へのメッセージが「核心をつき過ぎ!」と話題

漫画家を目指している人への鼓舞なのだろうけど、文字に起こして引用すると、やや無責任にも聞こえる。

楽しいに決まってる(生活できるとは言ってない)、みたいな。

そもそも、なぜ大人は「一番好きな事は仕事にせず、趣味にした方がいい」と言うのか。

それは一番好きな事を仕事にしたら、なんやかんや失敗して、好きだったはずのものが嫌いになっていて、ああ趣味にとどめておけば・・という後悔を念を抱いたからなんじゃなかろーか。

まあともかく、うまくいかなかった人のセリフなわけです。

で、逆に尾田氏のような発言は成功者から出てくる。

失敗したから人に勧めず、
成功したから人に勧める

伸(の)るか反るか

それだけなんじゃないか。

一方で、好きなことして成功したのに、好きは趣味にしろ、という人もいるかもしれない。

これはこれで、たぶん他力を知っている人の言葉。

二度とは無いような運やタイミング、脱落していった同志、そういうのを見てきた人。

好きなものを好きなままやっていける人もいる。

やはり、いろいろあって、好きなものが嫌いになるっていう人もいる。

好きなものは趣味にしておこうと思って、別のこと仕事にしたら、断然そっちにのめり込んでた、なんて人もいるだろう。

結局のところ、好きなものを仕事にしろ・するな、というのは、さほど重要なアドバイスにはならないんじゃないか。

無視しよう。

したいようにすべし。

「好きなこと」を仕事にすべきかどうか・・

なんて、以前も考えたよーな・・

「好きなこと」を仕事にすべきか – 美について

あった。2006年1月21日。

まじかよ。10年前かよ。

報道の自由度が低いことに驚く日本の新聞

何も期待することが無いばかりか目くらましさえしてくる新聞というものを自分はとっていないが、実家ではとっているので、帰った折、四コマ漫画やラテ欄のために手に取ることがある。

そこでなんとなく読んでみた2016年5月4日付の天声人語。
全文はこちら(要無料会員登録)

香港での言論弾圧に触れた後、

驚いたことに先日発表された国際調査では、そんな香港よりも、日本の方が「報道の自由」度が低いと判定された。(略)西欧中心の見方ではないかと思うものの、72位という順位には記者として自責の念を抑えがたい。報道の将来を思うと、焦燥感がこみ上げる(略)担当相が放送局に電波停止をちらつかせ、議員が報道機関を懲らしめる策を勉強会で披露する。あの種のふるまいがなければ、日本がここまで評判を落とすことはなかっただろう。

と書かれている。

なーにが驚いたことに、じゃ・・

朝日の(日本のと言ってもいいが)ジャーナリズム精神は本当に凋落していると感じた。

要約すると「対岸の火事を見てたら自分らのほうが燃えていてビビった。風あおったの誰よ」といったところか。
これが近所のおっさんのボヤきなら分かる。
だが仮にも大手新聞と呼ばれる新聞の一面に載っているのである。

現場では明らかに権力の圧力を感じると言い、キャスターは降板し、権力者と関係の深い市民団体が放送に対して圧力をかけている。
そんな一般市民でも知っているようなことには全く触れず「驚いたことに」「西欧中心の見方」「焦燥感がこみ上げる」ときた。
どれだけ感覚が鈍っているのだろう。

挙句の果てには、自分たちがその使命を捨て去っていることの反省もそこそこに、他人の行動にグチをこぼす。
よくもまあこんな恥ずかしい文章を載せられたものだと、呆れ果てる。

「xxだったら、日本がここまで評判を落とすことはなかっただろう」
それはすべて自分たちに向かう言葉ではないか。

権力と癒着し、権力に怯えるメディアの限界というものがはっきりと見えたし、やはり新聞など文字通りとるに足らないものだと確信した一コマであった。

# もう一つの大手機関紙は一面に権力者礼賛コラム載せちゃうようなベッタリぶりを隠そうともしないので、いっそすがすがしいですけど。

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