4つ星以上 - しろログ

巌谷国士 - シュルレアリスムとは何か

2008/05/10

シュルレアリスムとは何かを読んだ。

よく言われる、「シュール」はシュルレアリスムが語源だけれども、
一般的に解釈されている意味とは全然違うんですよね、
という話から始まる、講演調の内容。

端的に言ってしまえば、シュルレアリスムとは、
「現実離れした不思議な世界」ではなく「現実と連続して存在する、強度の現実世界」
ということらしい。

強度のというのは、本質をついている、という意味だと解釈してみたり。

現実と連続(リンク)しているんだけれども、その途中の段階が省略されていたり、
作品として出てくることなく、最終段階が、ぽっと出てくるので、
いわゆる「シュール」なことになってしまう(笑)

禅問答に近いものがあるかもしれない。
問いがあって、答えがあるんだけれども、その途中が無いから、
答えがすごく奇妙に思えてしまう。

本書ではシュルレアリスムのほか、それに関連して
メルヘン、ユートピア、と主に3つの主題について語られている。

講演だけに、普通の聴衆になった気分で、気軽で分かりやすい。
さくさくと読める割に興味深い内容が良い。

メルヘンでの、おとぎばなしについての考察や、
現代日本が古代ギリシアあたりの人達が想像していたユートピアにかなり近い
(ただし、それはかなり良くない(笑))といった考察が面白い。

オススメ度★★★★

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カテゴリ:, 学問・研究, 4つ星以上

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夏目漱石 - 彼岸過迄

2007/12/26

彼岸過迄を読んだ。

元旦から書き始めて、彼岸過ぎ迄書くから、彼岸過迄という題。
なので、内容とは全然関係無い。

それはさておき……
漱石の作品は、登場人物に一人は自分と似た人が出てくる率が高いから好きだ。

完全に同じではないけど、考え方の端々が似てる。
誰か一人でなく、複数の登場人物にまたがることもある。

本作では、須永を中心に、敬太郎、松本あたりがそれだ。

無駄に色々悩んで、一人で神経すり減らすタイプorz

悩むのはいいが、考えすぎはダメだ、
と言いたくなるような感じかもしれない。

話としては、とりとめのないようで、意外と起承転結があるような、
読み終わってみると、かなり好きな作品になっていた。

虞美人草の時に、漱石は「書いているうちに登場人物が勝手に歩いてくれるでしょう」といったことを言ってたけど、
この作品で初めて勝手に歩く登場人物を見た気がする。

特に、ヤマ場は、須永の話の終盤。

幼馴染の千代子と、それとなく将来は結婚か、というところで、
やっぱり家族のように育ってきた千代子とは夫婦という感じでもないし、
かと言って、他の人との結婚は考えられないし、といったふう。

作中では、須永の視点で一方的な思考が語られるわけだが、
そこはやっぱり、独りよがり&思い込みがちな思考になる。

千代子に対しては、兄妹のような感覚を持ちながら、
一方で見栄もあり、一人で微妙な牽制をしているのだが、
明らかに結婚候補っぽい人物が現れた終盤……

千代子に卑怯だと言われ、卑怯の意味が、
自分の引っ込み思案なところに向けられたものだと思う須永と、
自分の言う所の意味を分かってもらえない千代子。

「じゃ卑怯の意味を話してあげます」と云って千代子は泣き出した。

この涙に半分引き気味の須永。

僕は心を動かす所なく、彼女の涙の間から如何なる説明が出るだろうと待ち設けた。
彼女の唇を洩れるものは、自己の体面を飾る強弁より外に何も有る筈がないと、僕は固く信じていたからである。

千代子は、須永が自分を馬鹿にしており、
そして、結局自分と結婚する気が無いのだと須永に訴える。

「唯何故愛してもいず、細君にもしようと思っていない妾(わたし)に対して……」
彼女は此処へ来て急に口籠った。不敏な僕はその後へ何が出て来るのかまだ覚(さと)れなかった。

続きを促す須永に、千代子は答える。

彼女は突然物を衝き破った風に、
「何故嫉妬なさるんです」と云い切って、前より劇しく泣き出した。
僕はさっと血が顔に上る時の熱りを両方の頬に感じた。

うわー、ばれてるー!と思った。
確かに須永は嫉妬していた。しかし、それは心に秘めたものであって、
決して他人に分かるはずは無かった。無いと思っていた。
(何しろ須永自身よく分かっていなかったのだ)

そんな須永視点に完全にひたりきってた所で、このセリフは効く。

この瞬間、彼らは漱石の創作した人物ではなくなっていた。

なんとなく間延びした展開がここで一気に締められ、
余韻を残しつつ、最後の松本と、敬太郎の話が続く。

もちろん、読みどころは他にもある。
たぶん読むたびに新しい発見があるんじゃないかと思う。
とりあえずは大学生くらいの方にオススメ。

オススメ度★★★★

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カテゴリ:, 小説, 4つ星以上, 文学

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リーナス・トーバルズ - それがぼくには楽しかったから

2007/12/22

デイビッド・ダイヤモンドとの共著、
それがぼくには楽しかったからを読んだ。

Web業界にいて知らない者はいないLinux開発者のLinusが、
その人生哲学やLinuxについて語っている。

もちろんコンピューターのことに明るいほうが楽しめるけど、
あまり詳しくない人でも、興味があればオススメできる。
そして、コンピューターをいじってる人は何が楽しいのか少し分かるかもしれない。

物理学では、世界がどのように作られているかを見つけ出そうとするけど、コンピューター・サイエンスでは、自分で世界を作るのだ。

プログラミングは何かを築く行為であり、
その世界では自分が神となる。

悪役だが、トレインマンの言葉は象徴的だ。

ここは俺が作ったのさ。
ここじゃ、ルールも俺が作る。
ここじゃ、俺が神だ。
MATRIX REVOLUTIONS

ちなみに自分の創造したはずの被造物が思い通り動かずに苦しめられるのは、
実際の神と同じではある。

芸術と技術をどのように組み合わせるかの問題だ。

単に使うだけならソフトウェアなんて動けばいいのだが、
やはり同じ動作にも実現方法はたくさんあって、
芸術的なやり方から、そうでないのまで様々だ。

絵画にも、モナリザのようなものもあれば、
単に絵の具をぶちまけたようなものがあるようなものだ。

そして、やはり美しいものは生み出したくなるのである。
そうして、日々コンピューターに向かう。

プログラミングに夢中になる理由のほとんどは、
自分が創造主になれることであり、
自分の能力次第で美しく仕上げることができる、
ということにあると思う。

これはほとんど全ての芸術と同様だと思う。

多少なりとも生存が保証された社会では、お金は最大の原動力にはならない。
人は情熱に駆り立てられたとき、最高の仕事をするものだ。

オススメ度★★★★

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カテゴリ:, 新書・雑学, 4つ星以上

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夏目漱石 - 門

2007/10/08

門を読んだ。

三四郎、それから、に続く前期三部作と呼ばれるものの最後。

宗助が、友人安井と同棲していた御米を、半ば奪う形で結婚し、
そのために背徳者として、家と世間から切り離されて暮らす話。

決して、御米が嫌がってるわけではない。
むしろ二人で一つ、お互いがいれば他には何もいらない、
というくらいの仲。

背徳という闇の中にともる灯火のような二人だが、
決して不幸には見えない。

実際彼らは不幸ではなかったが、
不幸でないことを自覚しているわけでもない。

ただ世間の風雨を人一倍感じざるをえないだけである。

背徳者だけが感じる不安が巧妙に描かれている。

最後の御米と宗助の会話。

御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、
「本当にありがたいわね。漸くの事春になって」といって、晴れ晴れしい眉を張った。
宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。

このシーンは、そのまま冒頭のシーンにつなげることもできる。
季節がめぐるように訪れる、終わることのない不安を暗示している。

以下、深読みコーナー。

大家さんが饅頭をごちそうしてくれる場面。

主人は箸とも楊枝とも片の付かないもので、無雑作に饅頭を割って、むしゃむしゃ食い始めた。宗助も顰に倣った。

というくだりがあるのだが、「顰(ひそみ)に倣う」というのは、「真似すること」を謙遜した言い方だ。

この語源を調べてみると面白い。
「顰に倣う」は「西施(せいし)の顰に倣う」という中国の話から来ていて、
その話は以下のようなものである。

春秋時代、西施という美女がいた。
西施が胸の病で、苦しみ、眉をひそめていたところ、
それを見た醜女が美しいと思い、自分も真似をしたところ、
あまりの醜さに金持ちの村人は門を閉ざし、
貧乏人は逃げ出した。

この逸話は漱石も知っていたんじゃないかと思うが、
門というテーマにひっかけていたとしたら面白い。

…まあ、たぶんそんなことは無くて、
たまたま使おうと思った言葉と逸話が関係あるっぽいだけだろうが。

オススメ度★★★★

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夏目漱石 - それから

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サイモン・シン - フェルマーの最終定理

2007/09/02

フェルマーの最終定理を読んだ。

常々読みたいと思っていたのを、近くの図書館で見つけたので、ついに読めた。

本書はフェルマーの最終定理にまつわる数学史のドラマをつづったものである。

まずサイモン・シンの構成力、説得力には驚愕する。
これは単に数学に興味ある人だけの本ではない。
ロマンを求める全ての人にオススメできる。
涙がにじむほどの感激で、証明の瞬間を迎えるだろう。

大事なのは、どれだけ考え抜けるかです。(略)
その問題以外のことを考えてはいけない。
ただそれだけ考えるのです。それから集中を解く。
すると、ふっとリラックスした瞬間が訪れます。
そのとき潜在意識が働いて、新しい洞察が得られるのです。
- アンドリュー・ワイルズ

さて、問題のフェルマーの最終定理とは、以下のようなものだ。

xn+yn=zn
この方程式はnが2より大きい場合には整数解をもたない。

よく知られたピタゴラスの定理は、nが2の時、つまり、
x2+y2=z2
である。(解の例:x=3、y=4、z=5)

ところが、このnが3以上になると解は無いというのである。

問題の意味は誰でも分かる。
しかし、これが証明されるまでに358年を費やしたのだ。

フェルマーは言った。

私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない。

そして、記すことの無いまま、世を去った。

これがどのようにして証明されたかは当然、本書を読んでいただきたいと思うが、
一応覚書として、背理法による証明の概略だけメモしておく。

・フェルマーの最終定理が間違いで、少なくとも一つの解が存在すると仮定する。
・解を持つとすると、この方程式は楕円方程式へ変換できる。
・谷村-志村予想により、全ての楕円方程式は、モジュラーでなければならない。
・しかるに、変換した方程式は、楕円方程式であるにも関わらずモジュラーでない。
・よって、フェルマーの最終定理に解が存在するという仮定は誤りであり、解が存在しないことが証明された。

また、本書を読んで、
あらゆる学問の中で最も美しいのはやはり数学かもしれないと思えた。

証明は、一分の隙も無いという意味で完全であり、絶対である。
つまりイデア的な美しさを目の前にできるのだ。

世の中に、「完全」とか「絶対」というのはそう多くない。

例えば、手に持ったボールを離したら、地面に落ちていく。
それは確かだし、恐らく地球上でその反例を見た者はいない。
ところが、それを証明するすべが無い。
「絶対に落ちる」とは言えない。

宇宙船で生まれ育った人に、
「ボールを離したら、地面に落ちていく」
ことを理解してもらえるだろうか。

数学は理解してもらえるのである。

疑問の余地が一切無い「証明」という行為ができるのは
ただ数学だけであるという点で、数学は美しいのである。

「不滅」とは愚かしい言葉かもしれないが、それが意味するものになる可能性は、たぶん数学者がいちばん高い。
G・H・ハーディ

唯一の疑問は、フェルマーが当時の数学テクニックでこの定理を証明できていたのか、ということ。
もちろんフェルマーの頭の中だけのテクニックもあったかもしれないが、
証明できていたとすれば、ワイルズのそれよりも、
もっとエレガントな解法だったりするのではないかと思ったりもする。

オススメ度★★★★★

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スタンダール - 赤と黒

2007/07/19

赤と黒を読んだ。
復古王政を批判した内容だが、出版前に七月革命が起きてしまったらしい。

単なる恋愛小説ではないので、
よりよく理解するにはさらに勉強する必要があるだろうが、
やはり物語としてはジュリアンの野望と情熱に熱いものがあるので、
まずはそこに注目。

一文あらすじ・・・
野心に燃える材木商の息子ジュリアンが、
低い身分ながら、高い才知を以って上流社会へ入り、
レーナル夫人とマチルド嬢という二人の高貴な婦人と関係を持つも、
レーナル夫人の手紙を引き金に、最後は処刑されるお話。

後に発表されるパルムの僧院では、
理性を駆使した公爵夫人と、本能の赴くままのファブリス、という対比だったが、
ジュリアンの場合、二人の婦人に対してその対比をなしているような気がする。

レーナル夫人対しては、自然に出る感情、
マチルドに対しては相手の心理を探り合う理性的な感情。

特に中盤以降のマチルド攻略(!)は圧巻。
いかに相手の上に立って支配するかという心理戦にも近い
交流が心地よいスピード感で表現される。

マチルドは「自分が愛されていないのではないか」という気持ちでいなければ、
相手を愛せない、という恵まれすぎた環境ゆえの複雑な感情を持っている。

もし、相手が自分に夢中になっていると知れば、
たちどころに相手を下に置いて軽蔑してしまうのである。

当然、ジュリアンもそれを知っているし、
知っているからこそマチルドの愛を勝ち得ることができた。

しかし、この戦略的で理性的な計算の上に成り立った愛は、
「死」という本能に働きかける現象の前では
ただわずらわしいものでしかなかった。

ジュリアンがその死に際して最も欲したのは、
野心と名誉の行き着く先でもなく、才知で得たマチルドでもなく、
その感情が求めるレーナル夫人だった。

かげろうは夏の暑いさかりに朝の九時に生れて、夕方の五時には死んでしまう。どうして夜という言葉が理解できよう?

オススメ度★★★★

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村井弦斎 - 食道楽 春の巻

2007/05/17

食道楽 春の巻
食道楽 春の巻を読んだ。

明治時代の料理小説。
今読んでるのは復刻版だけど、仮名使いはたぶん当時のもの。
これがまた独特の味わいがある。

小説なんだけれども、実用的な家庭料理の教えが光る。
当時は上流社会でも嫁入り道具の一つになっていたほど、定評のあるものだったらしい。

確かに、料理にあまり興味の無い僕も何故かおもしろく読める。

単に料理Tipsに留まらず、家庭料理の精神も説いていて、
「食道楽」という表題ではあるが、
一般的な道楽を批判する意味がこめられているように思う。

また、基本は料理の話題だが、
小説、啓蒙書としてもなかなかのもので、そちらの展開も目が離せない。

エセ風流が国を滅ぼすという、風流亡国論、
感情的な判断もまた国を滅ぼすという、感情亡国論、
上辺だけではない、心の礼
というような主張を、各登場人物を通して展開させる。

新たな文明を人間らしい理性で切り開いていこうという、
当時の人が新しい時代の風を感じていたこと、
そういう雰囲気がよく伝わってくる。

多くの名作がそうであるように、この作品も普遍性を持っている。
100年も前に書かれたものなのに、
「これ今の時代にもあてはまるな」
というもの。

こういう本がごく一部の人にしか読まれないというのは残念だと思う。

大原「(略)そんなに料理の秘伝を人に教えては何処からかお小言が来ませんか」
お登和「(略)秘伝秘伝と云って隠すのは狭い心、(略)こういう事はお互いに教え合って我邦(くに)の料理法を進歩させるのが人の道ではありませんか」
(略)
野蛮の世には何事も秘伝多し、秘伝は文明の大禁物。

これ、オープンソースとかに触れている人はすごく実感できるんじゃないかと。
当たり前のことなんだけど、この時代にズバリ言っちゃうのもすごいな。

もう一つの見所は、やはり大原とお登和さんの関係。

大食漢の大原は、器量よし料理よしのお登和さんに一目ぼれ。
最初は気味悪がってたお登和も、大原が誠に心の礼というものを知っている
数少ない、誠実な人だと知ると、だんだんと心惹かれ始める。

友人らの助力もあって、いよいよ結婚かという時に、
親が決めた結婚相手、それも田舎育ちの大女がやってきて・・

という展開。

まとめると・・・
冷蔵庫とかそういう便利なものが無かった時代の話なので、
料理法などはだいぶ変わった所があると思うけど、
・家庭料理の精神
・新時代への啓蒙
・大原とお登和の物語

これで十分価値のある、1粒で3度おいしい、みたいな、
とにかくオススメなわけです。

オススメ度★★★★★

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