哲学・人生 - しろログ

カミュ - 幸福な死

2007/11/10

幸福な死を読んだ。

メルソーが富裕な知人ザグルーを殺して金を奪いながらも、最後には幸福な死に至るという、お話。

金、時間、幸福、死というキーワードが興味深い。
いちいち納得できることが多いのだが、やはり幸福と死という概念が難しい。

とりあえず、そもそも幸福とは何かというのは、またの機会に考えることにしておいて、
金と時間、幸福への意思について考えてみる。

ぼくらは自分たちの人生をお金を稼ぐことに費やしてしまうんだ。
本当なら、お金によって時間を買わなければならないときにね。

多くの人々は生きるためにお金が必要で、
お金を得るために自分の時間を切り売りする。
そうして、生活とお金が均衡して存在するが、時間のみが消費され欠乏する。

時間が幸福へ至る条件だとすると、
このような人生に幸福は無いと考える。

なにもぼくは、お金が幸福を生み出すなんていうことを言いたいんじゃないんだ。
ただぼくは、或る階級にあっては、幸福になることは(時間が持てるという条件で)可能であり、お金を持つということは、その人をお金から解放することだと思ってる。

要するに2億円くらい持っていて、
つつましくしていれば60年くらい何もしないでいられる。

労働(で時間を消費する)という、お金の代償から解放され、
幸福へと至る条件である時間を得ることができるということだ。

そして、メルソーはザグルーの金を奪う。
それはつまり、時間を手に入れたのと同義である。

さて、お金から解放され、
膨大な(人生が終わるまでの)時間を手に入れたメルソーは、
後はひたすら幸福を求めれば良いこととなる。

時間を持つということは、経験のなかでも同時に一番素晴らしく、一番危険なことであることを彼は理解していた。

時間を持つのは素晴らしいことではあるが、
今度は時間の空虚さに耐えなければならない。
一歩間違えれば、堕落への道を転がり続けることになる。

時間があったら、あれやろう、これやろう、と思ってたのに、
いざ時間ができるとゴロゴロして過ごしてしまう、というやつだ。

かれにとってもまた、再開や、出発や、新しい生活は、それなりの魅力を持っていた。
だが幸福がそうしたことに結びつくのは、怠け者と不能者たちの精神のなかだけでしかないことをかれは知っていたのだ。

再開、出発、新しい生活は、そうした堕落から逃れる最も簡単な方法である。
いわば人生の暇つぶしができる。
しかし、それは幸福に至ることはない。

圧倒的な時間の中で幸福を見出すことができるのか。

幸福もまた長い忍耐なのだよ。

幸福は、ひとえに「幸福への意思」によって初めて見出せる。
時間の圧力に耐えられない者は「諦めの意思」によって、怠惰な幸福に甘んじる。

幸福への意思を持つことの大変さに気が付くと、
特別不幸でなければ特別幸福でなくても良いんじゃないかと思ったりする。

そして青い鳥が身近にいることを発見することにする。

童話では、ここでめでたしめでたしなのだが、実は違う。

身近に発見したはずの青い鳥はすぐに逃げていくのである。

オススメ度★★★

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ドストエフスキー - 悪霊

2007/09/17

悪霊を読んだ。

1861年農奴解放令以後のロシアの混沌とした様子を、
実際にあった事件を元に描いた大作。

題名は、ルカ福音書第八章32-36節より。

人に憑いていた悪霊がイエスの許しによって、
人から出て豚にとり憑くと、豚は崖から湖に飛び込み溺死した。
というところから来ている。

本作を読むに当たっては、焦点の当て方が沢山あると思うが、
やはり気になるのはスタヴローギン。

主人公でありながら、どうにもつかみどころが無い人だが、
「スタヴローギンの告白」を読むと納得できることも多い。

問題は、生きていくのが気が狂いそうなほど退屈なことであった。

退屈とか、ヒマっていうのは結構危険なもので、
学問や哲学の始まりはここにあるのだが、
思想というものがしばしば破滅へ至るのは、退屈が根本にあるからだと思う。

退屈から始まった哲学が、退屈に立ち返るわけにはいかないのだ。

「暇つぶし」という概念があり、
しかもそれに夢中になることができるのは、
人間の自己防衛本能のせいかもしれない。

まあ、とにかく、ヒマをつぶせずに、あれこれ考え始めると、
とんでもない結果に辿り着いたりする。

結局のところ、学問が発達するというのは、暇人が増えるからで、
そういう暇人が発達させる学問の行く末には
破滅が待ってるんじゃないかという気にもなってくるので困った。

発見の先に何を発見するのだろう。

神、あるいは無。
(この二つは同一のものに思える)

その事実に人間が耐えられるのかどうか。
少なくともスタヴローギンやキリーロフは耐えることができなかったのだ。

オススメ度★★★

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トルストイ - 人は何で生きるか

2007/03/18

人は何で生きるか
人は何で生きるか
を読んだ。

トルストイが作家としての名声は得た後に書いた、民話集。
僕が読んだのは古い角川のもの。

キリスト教の隣人愛を民話として伝えています。

こういう道徳的な話を子供向けの理想のお話として片付けるのではなく、
真剣に考えるものとして読む必要があるのではないかと思います。

しかも、この手のお話もトルストイにかかると、
とても読み応えのある、それでいて読みやすく、
大切なことがよく伝わる話として仕上げられています。

オススメ度★★★

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サルトル - 嘔吐

2007/03/04

嘔吐
嘔吐
を読んだ。

「存在」に関する哲学的テーマを持った小説。

主人公アントワーヌ・ロカンタンが一般市民的生活を送りながらも、(その生活から見れば)半分狂ったような思考をしているお話。
でも、ロカンタンに共感できる人も結構いる気はする。

存在については、去年の暮れごろからのテーマです。

何かについて思考するとき、その対象は「在る」ものについてであることがほとんどですが、その「在る」とは何でしょう。
この日常の違和感のようなものから始まり、「在る」ことについての発見へと至ります。

存在について考えるとき厄介なのは、
存在というものがあまりにも当然すぎて、
何を考えたらいいのか分からないということしょう。

とりあえず「存在するもの」を実感するための、とっかかりとして、
「本質は実存に先立つ」
という考え方があります。

存在しているものの中には、まず何らかの本質があって、
その後で実存(モノ)があということです。

例えば、「紙を切れる何か」「音楽を聴く何か」という本質があって、
「ハサミ」「CDプレイヤー」のようなモノが生まれている、
というのがそれです。

部屋や街を見回せば、ほとんどがそういうモノです。

逆に
「実存が本質に先立っ」ているものもありそうです。
個人的には、植物や水、動物、人間なんかが
それに当たると思うのですが、人間だけという考えもあるようです。

要するに、「二本足で歩く何か」のような本質がなく、
ただ存在ありき、で存在するものです。

例えば人間を創造した「神」が存在しなければ、
人間は本質を持たない存在ということになります。
(この辺が実存主義)

こんな感じで、世界は存在するもので満ち溢れているわけですが・・・

* * *

ロカンタンは気づきます。
全ての存在は、不条理で、余計なものであると。

存在するものは、その意味や理由を厳密に語りつくせないという意味で不条理です。

(逆に説明や理屈というものは存在しないが故に、不条理ではないと言います。
例えば点と点を結んだものが線分であるというのは、
ただ言葉で定義され、充分説明されるているだけで、
それらは存在せず、不条理ではありません。)

この辺りでライプニッツが出てくるようです。

「なぜ無でなく、何ものかが存在するのか」

存在には全て理由があり、理由がなければならないと説きます。

理由があるということは、「なぜ?」という問いに答えられるということです。

ここでは「なぜ?」の連鎖を作ることができます。
子供のときに一度はやって親を困らせ(怒らせ?)たのではないでしょうか?

「なんでこの花は赤いの」
「虫が来るようにだよ」
「なんで虫が来るようにするの」
「実をつけるためだよ」
「なんで実をつけるの」

みたいな。

で、この行き着く先は二つあって、
一つは全ての創造者「神」。
もう一つは意味の無限の遅延、あるいは循環。

後者の場合は完全に不条理です。

つまり、その不条理から逃れるために神がいるというわけです。

しかし・・

そしてたちまち一挙にして幕が裂け私は理解した。
私は<見た>。

ロカンタンは「見て」しまったんですね。

存在そのものについて、神とか、言葉とかいうレッテルを貼れなくなってしまった。
貼ろうとしても、簡単にはがれ落ちるようになってしまった。

そこで、全てのものが不条理となり、
自分の存在そのものが余計なものであることに気づいたわけです。

* * *

普通は、この事実から逃れて楽しく暮らすために、
それぞれの事柄に関連性と意味を持たせて生活を充実させます。
あるいは便利屋としての神を引き出します。

これを自己欺瞞と言います。

たぶん、買ってから一度しか使ってないものを見つめて、
「なんで、こんなもの買ったんだろう」
とか思うときが、かなり、その存在そのものに接近している時です。

そのもの自体が、ここにある必要性も必然性も全く無い。

ただ「在る」だけの不条理で余計なものです。

そして、自己欺瞞も実感しやすい。
「それを得ることで満足できた」
「今後有益になるかもしれない」
と言って、しまいこみます。

実は、自分の持ち物は全て、余計なものです。
時々持ち物を処分したい衝動にかられます。
そのものから、自分が付与した「意味」が剥がれ落ちるからです。

しかし、結局全てを捨てた後でも、
自分という存在が残ります。
こればっかりは捨てられません。

ロカンタンも自殺はしないだろう、としています。
後に残る骨すら余計なものです。

* * *

ふむ・・ようやく、分かりかけてきた。

この本はなんて不条理な、余計なものでありましょうか。

オススメ度★★★★

関連記事:
サルトル - 実存主義とは何か
ドナルド・D・パルマー - サルトル

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アンドレ・ジッド - 田園交響楽

2006/11/17

田園交響楽
田園交響楽
を読んだ。

盲目のまま、教育を受けることもなく育った娘が、
ある牧師によって知性に目覚め、この世の素晴らしさを謳歌するも、
視力を得て知った罪の意識によって、死の道へと至る悲劇。

あなたが授けてくださる幸福は、何から何まであたしの無知の上に築かれているような気がしますの

妻と子がありながら、日に日に知的に成長するジェルトリュードに恋し、
ジェルトリュードを導くという口実で、
互いに惹かれていた息子ジャックとジェルトリュードを遠ざけ、
さらに愛情を深める牧師。

神への道が見えなくなっていた牧師が開かせた
ジェルトリュードの目は、罪を見ることになります。

もし牧師の両目が開かれていたならば、
ジャックとの結婚を認めたでしょうし、
片目でも開いていれば、目の手術は受けさせなかったかもしれない。

そして、手術の後、罪の深さを知ったジェルトリュードは死を選び、
ジャックは牧師の元を去ります。

私は、自分の心が砂漠よりも乾からびているのを感じていた。

ルカによる福音書6章39
「盲人もし盲人を導かば、ふたりとも穴に落ちん」を具現化した作品。

オススメ度★★★

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トルストイ - 光あるうち光の中を歩め

2006/11/09

光あるうち光の中を歩め
光あるうち光の中を歩め
を読んだ。

プロローグとして、「閑人たちの会話」があります。

皆、神の御心にかなう暮らしをしなければならない、という意見を一致させながら、
幼年においては打撃を与えてはならないとして、
青年においては親の期待に背いてはならないとして、
壮年においては妻子に迷惑をかけられないとして、
老年においては長い習慣があるとか、余命いくばくもないとして、
結局新しい一歩を踏み出せずに、空しい議論のみに終始するのだという一幕。

当たり前のことなのですが、それをあからさまに書き出しています。
いかに人生の舵取りが難しいかを教えてくれますね。

さて、本編は、同じ学び舎で育った2人の青年が、
一方は俗社会に生き、他方はキリスト教徒となって、時に語り合う物語。

キリスト教に対する疑問と、それに対する回答、といった形で話が進むので、とても分かりやすくなっています。
自分が聞きたかったことを代わりに聞いてくれているようでした。

しかし、その教えが「個人の歩むべき道」を超えて「社会の歩むべき道」として良いものかどうかは結局分からなかった。
しかし、個人の道としては尊敬すべきものである気はする。

そして肉体の死が訪れたのも知らなかった。

人生の重荷を背負ったユリウスが人生の最後に到達した境地。
本当にそんな幸福があったものだろうかと、ため息の出る最期。

物や地位、名誉に対して幸福を求めるのは空しい。
死と共に、それらは全て失われるのだから。
精神の幸福こそ求めるべきもの・・・。

オススメ度★★★

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