箱庭ノベルズ - しろログ

スティーヴンソン - ジーキル博士とハイド氏

2007/12/01

ジーキル博士とハイド氏を読んだ。

ちなみに、著者はジムやシルバー船長の「宝島」を書いた人。

二重人格の代名詞とも言える本作は、
知ってはいるけど、読んだことない、というパターンの一冊。

想像通り、ジーキル博士が薬によって、ハイド氏になったはいいが、
ハイド氏になった時の凶行を苦に、最後は死んでしまう話。

基本的には、ジーキル博士とハイド氏の関係を探っている、
友人アタスンの視点で話が展開される。

一番のポイントはやっぱり最後の博士の告白文だろうと思う。
この文で、本作がただの二重人格サスペンスでないことを知るだろう。

ジーキル博士はいわば善良な市民であった。
社会の中で、善良な市民として暮らすということは、
それなりに他者に気を使うということである。

それは普通のことではあるが、やはりこのストレスに耐えがたい人もいる。

善良に見えるほど、あるいはそういう傾向があるかもしれない。

博士は抑圧された悪の自己を具現化させる薬を開発した。

誰しもが心に持ってはいるが、決して人前には見せない部分、
そんな部分だけでできた人間がハイド氏である。

ハイド氏は本質的に醜く、不愉快な存在だ。

これは、誰しもが持ちながら、しかし人前では抑圧されるべき存在である。

それは誰もが自覚する。
「自分の中に、抑圧されているもう一人の自分がいる」と。

だからこそ、人は不愉快極まりないハイド氏に、
人間の本質を見出す。

悪の部分を呼び起こし、頭では善へ帰りたいと思いながらも、
抗いようもなく悪に冒されていくジーキル博士に、
同情の念を抱かずにはいられない。

イギリスでこのような作品が生れ、語り継がれたということは、
イギリスがジェントルマンの国であることと無関係ではない、
という作品の解説は特に納得できるものだった。

オススメ度★★★

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カテゴリ:, 小説, 文学

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カミュ - 幸福な死

2007/11/10

幸福な死を読んだ。

メルソーが富裕な知人ザグルーを殺して金を奪いながらも、最後には幸福な死に至るという、お話。

金、時間、幸福、死というキーワードが興味深い。
いちいち納得できることが多いのだが、やはり幸福と死という概念が難しい。

とりあえず、そもそも幸福とは何かというのは、またの機会に考えることにしておいて、
金と時間、幸福への意思について考えてみる。

ぼくらは自分たちの人生をお金を稼ぐことに費やしてしまうんだ。
本当なら、お金によって時間を買わなければならないときにね。

多くの人々は生きるためにお金が必要で、
お金を得るために自分の時間を切り売りする。
そうして、生活とお金が均衡して存在するが、時間のみが消費され欠乏する。

時間が幸福へ至る条件だとすると、
このような人生に幸福は無いと考える。

なにもぼくは、お金が幸福を生み出すなんていうことを言いたいんじゃないんだ。
ただぼくは、或る階級にあっては、幸福になることは(時間が持てるという条件で)可能であり、お金を持つということは、その人をお金から解放することだと思ってる。

要するに2億円くらい持っていて、
つつましくしていれば60年くらい何もしないでいられる。

労働(で時間を消費する)という、お金の代償から解放され、
幸福へと至る条件である時間を得ることができるということだ。

そして、メルソーはザグルーの金を奪う。
それはつまり、時間を手に入れたのと同義である。

さて、お金から解放され、
膨大な(人生が終わるまでの)時間を手に入れたメルソーは、
後はひたすら幸福を求めれば良いこととなる。

時間を持つということは、経験のなかでも同時に一番素晴らしく、一番危険なことであることを彼は理解していた。

時間を持つのは素晴らしいことではあるが、
今度は時間の空虚さに耐えなければならない。
一歩間違えれば、堕落への道を転がり続けることになる。

時間があったら、あれやろう、これやろう、と思ってたのに、
いざ時間ができるとゴロゴロして過ごしてしまう、というやつだ。

かれにとってもまた、再開や、出発や、新しい生活は、それなりの魅力を持っていた。
だが幸福がそうしたことに結びつくのは、怠け者と不能者たちの精神のなかだけでしかないことをかれは知っていたのだ。

再開、出発、新しい生活は、そうした堕落から逃れる最も簡単な方法である。
いわば人生の暇つぶしができる。
しかし、それは幸福に至ることはない。

圧倒的な時間の中で幸福を見出すことができるのか。

幸福もまた長い忍耐なのだよ。

幸福は、ひとえに「幸福への意思」によって初めて見出せる。
時間の圧力に耐えられない者は「諦めの意思」によって、怠惰な幸福に甘んじる。

幸福への意思を持つことの大変さに気が付くと、
特別不幸でなければ特別幸福でなくても良いんじゃないかと思ったりする。

そして青い鳥が身近にいることを発見することにする。

童話では、ここでめでたしめでたしなのだが、実は違う。

身近に発見したはずの青い鳥はすぐに逃げていくのである。

オススメ度★★★

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カテゴリ:, 小説, 哲学・人生

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ダン・シモンズ - エンディミオン

2007/11/01

エンディミオンを読んだ。

『ハイペリオン』、『ハイペリオンの没落』の続編。

いくつもの惑星つながっていた「転移ゲート」が崩壊した後のお話。

ハイペリオンで育った青年ロール・エンディミオンと、アンドロイドが、
かつての巡礼の一人、レイミアとキーツ・サイブリッドの間に生まれた娘アイネイアーと共に
作動しないはずの転移ゲートを潜り抜けて惑星を旅する。

世界観が強烈かつ完成されているので、
ハイペリオンの没落を読んでから1年以上経ったけど、
その時の話を思い出しながら読めた。

最後の戦闘の盛り上げ方は最強。

オススメ度★★★

ちなみに、「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」「エンディミオン」は、
作中にもしばしば出てくる詩人ジョン・キーツによる詩の題名。

とても長い詩のようだが、上記の本で各詩の抜粋が読める。
英文との対訳なのでオススメ。

関連記事:
ダン・シモンズ - ハイペリオン
ダン・シモンズ - ハイペリオンの没落
神林長平 - 死して咲く花、実のある夢

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カテゴリ:, 小説, SF

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夏目漱石 - 門

2007/10/08

門を読んだ。

三四郎、それから、に続く前期三部作と呼ばれるものの最後。

宗助が、友人安井と同棲していた御米を、半ば奪う形で結婚し、
そのために背徳者として、家と世間から切り離されて暮らす話。

決して、御米が嫌がってるわけではない。
むしろ二人で一つ、お互いがいれば他には何もいらない、
というくらいの仲。

背徳という闇の中にともる灯火のような二人だが、
決して不幸には見えない。

実際彼らは不幸ではなかったが、
不幸でないことを自覚しているわけでもない。

ただ世間の風雨を人一倍感じざるをえないだけである。

背徳者だけが感じる不安が巧妙に描かれている。

最後の御米と宗助の会話。

御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、
「本当にありがたいわね。漸くの事春になって」といって、晴れ晴れしい眉を張った。
宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。

このシーンは、そのまま冒頭のシーンにつなげることもできる。
季節がめぐるように訪れる、終わることのない不安を暗示している。

以下、深読みコーナー。

大家さんが饅頭をごちそうしてくれる場面。

主人は箸とも楊枝とも片の付かないもので、無雑作に饅頭を割って、むしゃむしゃ食い始めた。宗助も顰に倣った。

というくだりがあるのだが、「顰(ひそみ)に倣う」というのは、「真似すること」を謙遜した言い方だ。

この語源を調べてみると面白い。
「顰に倣う」は「西施(せいし)の顰に倣う」という中国の話から来ていて、
その話は以下のようなものである。

春秋時代、西施という美女がいた。
西施が胸の病で、苦しみ、眉をひそめていたところ、
それを見た醜女が美しいと思い、自分も真似をしたところ、
あまりの醜さに金持ちの村人は門を閉ざし、
貧乏人は逃げ出した。

この逸話は漱石も知っていたんじゃないかと思うが、
門というテーマにひっかけていたとしたら面白い。

…まあ、たぶんそんなことは無くて、
たまたま使おうと思った言葉と逸話が関係あるっぽいだけだろうが。

オススメ度★★★★

関連記事:
夏目漱石 - 三四郎
夏目漱石 - それから

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カテゴリ:, 小説, 4つ星以上, 文学

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神林長平 - 小指の先の天使

2007/09/26

電子顕微鏡でもそれらを捉えることはできるが、ではそれは、なにを意味しているのか、というメタレベルでの問題をきみは解決しなくてはなるまい
なんと清浄な街

小指の先の天使を読んだ。

新旧の短編が収められている。

やっぱりすごいと思うのは、どの作品もしっかり神林ワールドになってるとこ。
書かれた年代で表現が違う印象はあるものの、
世界観そのものはブレが無い。

が、個人的にはピリッとこなかったんだよなー。

さっきの「世界観」も悪く言うと、
あー、またそれ系の話ね、という感じで。

それでも「抱いて熱く」みたいのは好きだけど(笑

あと、ハードウェアは有限だけど、
計算によって無限を表現している、みたいな考えは面白かった。
まあRPGなんかのゲームに近いものがあるけど。

図書館に並んでる本は実は中身が真っ白で、
誰かが手に取った瞬間に中身が表示される、といった感じ。

実際そういうこと考えたこともあったな。
世界というのは、たった今、自分が見て、聞いてる範囲しか存在してなくて、
家から学校へ向かうと、家は消滅して、学校がその都度、
昨日とつじつまが合うように存在し始めてるんだ、みたいな。

そして、それを反証することはできない、と。
五分前仮説みたいな感じだね。

うーん、同じ短編集なら、麦撃機の飛ぶ空のほうがオススメ。

オススメ度★★

関連記事:
神林長平 - 麦撃機の飛ぶ空

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カテゴリ:, 小説, SF

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ドストエフスキー - 悪霊

2007/09/17

悪霊を読んだ。

1861年農奴解放令以後のロシアの混沌とした様子を、
実際にあった事件を元に描いた大作。

題名は、ルカ福音書第八章32-36節より。

人に憑いていた悪霊がイエスの許しによって、
人から出て豚にとり憑くと、豚は崖から湖に飛び込み溺死した。
というところから来ている。

本作を読むに当たっては、焦点の当て方が沢山あると思うが、
やはり気になるのはスタヴローギン。

主人公でありながら、どうにもつかみどころが無い人だが、
「スタヴローギンの告白」を読むと納得できることも多い。

問題は、生きていくのが気が狂いそうなほど退屈なことであった。

退屈とか、ヒマっていうのは結構危険なもので、
学問や哲学の始まりはここにあるのだが、
思想というものがしばしば破滅へ至るのは、退屈が根本にあるからだと思う。

退屈から始まった哲学が、退屈に立ち返るわけにはいかないのだ。

「暇つぶし」という概念があり、
しかもそれに夢中になることができるのは、
人間の自己防衛本能のせいかもしれない。

まあ、とにかく、ヒマをつぶせずに、あれこれ考え始めると、
とんでもない結果に辿り着いたりする。

結局のところ、学問が発達するというのは、暇人が増えるからで、
そういう暇人が発達させる学問の行く末には
破滅が待ってるんじゃないかという気にもなってくるので困った。

発見の先に何を発見するのだろう。

神、あるいは無。
(この二つは同一のものに思える)

その事実に人間が耐えられるのかどうか。
少なくともスタヴローギンやキリーロフは耐えることができなかったのだ。

オススメ度★★★

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神林長平 - 死して咲く花、実のある夢

2007/09/11

死して咲く花、実のある夢を読んだ。

この世には二種類の人間がいる。
死んでいることに気づいている者と、そうでない人間の二種類。

量子力学的解釈と、仏教思想を融合し、
人間の生と死、意識の問題について思索したSF長編。

量子力学ネタがあると気づく後半までは、ちょっと退屈な展開だった。
今見てる夢が夢で無い証拠は…、みたいな、
夢オチがちらついて疑心暗鬼になりつつも、
ネタに気づいてからはラストまで一気に読めた。

ただ中盤ぼーっと読んでたので、
作者の考えがしっかりつかめてないような気もする…

とりあえず、量子力学にまつわるエピソードの一つ、
「シュレーディンガーの猫」は知ってから読んだほうが面白い。

一応ここでも、シュレーディンガーの猫の話を超簡単に書いてみる。
ただし、かなり歪曲されているので、気になる人はググるか、
量子力学の雑学本でも読んでみるといいと思う。

シュレーディンガーの猫というのは、実験のことである。
ただし、頭の中だけで行う実験で、実際に行われたわけではない。

・予備知識
1.素粒子レベルの極微の世界では、量子というものが存在する。
2.量子は観測して初めて、1つの粒子として存在することが確認される。
3.観測するまでは粒子ではなく、単に「粒子が存在する確率」である。
これは粒子が飛び回っているとか、霧のようになっているという意味ではなく、
粒子の存在そのものがもやっと広がっているイメージ。
これは日常のものでは例えられない概念なので、そういうものだと思うこと。

・実験道具
1.毒ガス噴射機能付きの中が見えない箱
2.猫

重要なのは、この箱。
実は、1つの粒子の状態次第で毒ガスが噴射されるのである。

ところが粒子は、観測されるまでは量子であり、存在の確率でしかない。
つまり、箱を開けて観測し、結果を確定するまでは、
毒ガスが噴射された状態と、されてない状態が同時に成り立っていることになる。

さて、そんな箱の中に猫を入れて一時間。
今、猫は生きているのか死んでいるのか…
いや、正確に言えば、生きてもいるし、死んでもいるのである。

本作では、そんな「箱の中」を描写したような内容になっている。
もちろん、クライマックスは箱を開けて観測するシーンである。

以下、ネタバレ。

「結果」は観察者によるのでなく、
自らの意識・意思によって収縮させることができるとし、
「箱の中」にいた三人は、
一人は死を悟って彼岸へ行き、
一人は生を確信して現世に戻り、
一人は迷いを以って生まれ変わって現世に戻る。

という結果が観測されるに至る。

秋月が箱、
三人が猫、
マタタビ装置が毒薬の機械、
オットーが引き金となる粒子(量子)、と考えると結構つじつまが合うかもしれない。

しかしまあ今回は、神林氏のお話に付き合ってみた、という感じだなぁ。
あまり具体的な物理学をネタにしたのはあまり好きじゃない。
嘘っぽくなるというか、本当に無邪気な想像になるから。

ただ、僕にとって本書は、
「自分の思想を自分の型で表現する」のがどういうことか、
というのが分かる一冊だった。

人間というのはそのように世界を解釈したり想像する能力があって
あとがき

(あらゆる意味で)世界を解釈する、というのが表現のための第一歩なんだろうと思う。

オススメ度★★★

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時をかける少女

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カテゴリ:, 小説, SF

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