新書・雑学 - しろログ

ラース・スヴェンセン - 退屈の小さな哲学

2008/04/19

退屈の小さな哲学を読んだ。

苦痛なく苦しみ、意志なく欲し、論理なしに思考する - フェルナンド・ペソア

退屈についての歴史や考察がまとめられている。

退屈という現象がどのように現れ、それが何を意味しているか、
など興味深いことを、哲学初心者にも読みやすく書いている良作だと思う。

最後の、著者自身の退屈考察はやや説明不足な気もするけど、
退屈について、どのような考察がなされてきたかを知るヒントがつまっている。

そもそも、退屈というのは昔は贅沢なことで、
人は毎日働き続けなければ生きていけなかった。
だから、退屈できるのは、働かなくても生きていける身分の高い人たちのものだったのだ。

高慢と偏見のエリザベスの言葉

でも、まだ運がいいほうなんだわ、とにかくなにか不足があるってことは

は、貴族として、あるいは人間として、本質的なところを突いているいるように思える。

今や、多くの人が四六時中働かなくても生きていけるようになり、
退屈が一般的に生じるようになった。

いかに生活を楽をするか、それを求めて文明が発達して来た結果、
少しずつ退屈が広がり始めている。

面白いものが欲しいという人間の欲求は、
退屈を紛らせたいという欲求の裏返しかもしれない。

人間にとって興味があるのは不足しているものだけだからである

人間の行為は、「まだ見ぬ何か」を手に入れようとする行為だ。

行為が退屈を生み出しているとしたら、
退屈は、原理的に解消不可能な現象である。

今はまだ、退屈を埋められる別の現象が沢山あるように思える。
しかし、そのような現象を集めて退屈を埋めることが、
そもそも退屈で、虚しいことだと思う人達もいるだろう。

退屈しのぎを超えた行為というものはあるのか、どうか。

オススメ度★★★

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リーナス・トーバルズ - それがぼくには楽しかったから

2007/12/22

デイビッド・ダイヤモンドとの共著、
それがぼくには楽しかったからを読んだ。

Web業界にいて知らない者はいないLinux開発者のLinusが、
その人生哲学やLinuxについて語っている。

もちろんコンピューターのことに明るいほうが楽しめるけど、
あまり詳しくない人でも、興味があればオススメできる。
そして、コンピューターをいじってる人は何が楽しいのか少し分かるかもしれない。

物理学では、世界がどのように作られているかを見つけ出そうとするけど、コンピューター・サイエンスでは、自分で世界を作るのだ。

プログラミングは何かを築く行為であり、
その世界では自分が神となる。

悪役だが、トレインマンの言葉は象徴的だ。

ここは俺が作ったのさ。
ここじゃ、ルールも俺が作る。
ここじゃ、俺が神だ。
MATRIX REVOLUTIONS

ちなみに自分の創造したはずの被造物が思い通り動かずに苦しめられるのは、
実際の神と同じではある。

芸術と技術をどのように組み合わせるかの問題だ。

単に使うだけならソフトウェアなんて動けばいいのだが、
やはり同じ動作にも実現方法はたくさんあって、
芸術的なやり方から、そうでないのまで様々だ。

絵画にも、モナリザのようなものもあれば、
単に絵の具をぶちまけたようなものがあるようなものだ。

そして、やはり美しいものは生み出したくなるのである。
そうして、日々コンピューターに向かう。

プログラミングに夢中になる理由のほとんどは、
自分が創造主になれることであり、
自分の能力次第で美しく仕上げることができる、
ということにあると思う。

これはほとんど全ての芸術と同様だと思う。

多少なりとも生存が保証された社会では、お金は最大の原動力にはならない。
人は情熱に駆り立てられたとき、最高の仕事をするものだ。

オススメ度★★★★

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木村央志 - ゲームクリエイター作法

2007/09/29

どんなゲームを作りたいのかではなく、どんなカルチャーにするべきなのかこそが大切

ゲームクリエイター作法を読んだ。

ゲームが企画されて世の出るまでのアレコレ、
ゲームについての信念・考察がコンパクトにまとめられている。

僕が普段考えていたゲームの在り方と、
本書で考察されていた在り方のベクトルが大分似通っていたので、
興味深く読むことができた。

リアルであること、というのはどういうことかというので、
写真のボケみたいのが引き合いに出されていたが、これはピンときた。

最近のデジカメなんかは、マルチオートフォーカス機能がついてて、
これで建物を背景にスナップ写真など撮ると、
近くの人物はもちろん、遠くの建物までしっかりピントが合う。

全体としてキレイなのだが、
実際プリントしてみると、どことなく不自然で嘘っぽい感じになってしまう。

つまり、何もかも細部までしっかり写ることと、
リアルであることとは関係が無いのだ。

メインでない部分はあえてボカすこと、
これによってテーマを浮き彫りにでき、
かつリアルにもできるということになる。

ところで、ゲームで「リアル」というと、真っ先に連想されるのが
「実写に近い」というイメージなんじゃないかと思う。
そして、やっぱり時代が進むごとにゲームの映像は実写的になってきた。

しかし、ゲームがより写実的になることは
ゲームがより本質的になることにはならない。

現在のコンピューターは電気信号の0か1で動く。
その土台の上に築かれたゲームは、やはり0と1の世界でしかない。

それが良い悪いという話ではなく、
本質が0と1という世界なのだ。

ゲームとは、もとよりアレゴリーの産物なのだ、という結論に達する

本書では、ゲームの寓意性が語られるが、
ゲーム=寓意(アレゴリー)というのは、かなり本質的なところだと思う。

ゲームの土台は0と1である。
我々の世界はそうではない。

我々の世界と違う土台の上で、
我々の認識できる世界を構築すれば、
それは寓意的である。

あと、いくつかヒントっぽくて面白いもの。

(キャラ作りについて。好きなもの、○○と書き連ねるよりも)
きらいなこと、嘘。
とあるほうが、はるかにキャラクター性をつかみやすく、感情移入もできるというもの。

アクションコメディというのは、ちょっとしたこと、普通の人にとって造作のないことがうまくできない、それが笑いになるんだ。
たとえば石鹸があったとして、アクションコメディアンは、その石鹸をうまくつかむことができない。つるっと滑らせてはドタバタと大慌てする、そのさまがおかしいんだ
ローワン・アトキンソン

与えるゲームは必ず失敗する

オススメ度★★★

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吉成順 - バッハの「正しい」聴き方

2006/10/06

バッハの「正しい」聴き方
バッハの「正しい」聴き方
を読んだ。

題名が誤解を招くような気がするのですが、
なんてことはない、バッハと曲の紹介本です。

バッハの人生と曲を時系列で紹介しています。

単に曲を聴くだけでなく、その当時どういう状況にあったのか、
などを知るとまた違った聴き方ができるかもしれません。

そんな感じの気軽な一冊。

オススメ度★★★

ちなみにバッハで一番のお気に入りはマタイ受難曲(Wikipedia)の39曲目。
アリア「憐れみ給え、わが神よ」です。
最初に聞いたのは映画、A・タルコフスキーの『サクリファイス』ですが、
東方の三賢人を背景に流れるアリアが最高なんですよね。

マタイ受難曲 - Amazon

B000062VMC-01-_AA240_SCLZZZZZZZ_.jpgサクリファイス

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山崎敬之 - テレビアニメ魂

2006/09/13

テレビアニメ魂
テレビアニメ魂
を読んだ。

東京ムービーで巨人の星、怪物くん、新・オバケのQ太郎、それいけ!アンパンマン等を担当した山崎敬之氏の著作。

テレビアニメ草創期から、大衆に受け入れられるまでを、
筆者の担当した作品を中心に、筆者の視点・体験から語っています。

すごく読みやすい本で、マニアックな内容でありません。
ただただ、テレビアニメに賭ける情熱が伝わってくる内容です。

アニメは日本の文化と言われる昨今、
ここに至るまでにいかに長い苦労があったかが見て取れます。

終章に「キャラクター設定と起承転結の方法」と題して
ちょっとした脚本のコツみたいのがあって面白い。

魅力あるキャラクターを設定すること。
起承転結をはっきりさせること。
すぐれた物語はすべて、この法則のとおりに作られている。

という持論が披露されます。

キャラクターの基本は「葛藤」「太陽」「月」

これは「宝島」を例にとって説明されています。
主人公ジム・・・船乗りになりたい←→母をひとりにできない「葛藤」
シルバー船長・・・野生的だが人情味に厚いかっこいい大人「太陽」
(その後も「この人を信じるべきか否か」という葛藤発生の原因に)
グレイ・・・静かで澄んでいてシャープな存在「月」

主人公が「太陽」に対したときと「月」に対したときで別の顔を見せることで、性格に深みを与えることができる

起承転結については、かの有名な詩「春暁」を念頭においている、といいます。

春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少

ですね。

詩とは、行と行の間に空間を作り出すことであり、アニメなども同様に、
全てを描写しなくても空間の取り方がドラマが生まれると言っています。

空間を設けて、その間を視聴者に発見してもらうことが
感動へとつながるのかもしれません。
色々なことを空想で補完し、さらに感動を増幅するような・・

発見は感動なわけですよ。

先日のエントリー発見することにも関連しますが、
そういう余地の無いものは、すごく底が浅いものになってしまうんですね。

オススメ度★★★

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和泉雅人 - 迷宮学入門

2006/09/10

迷宮学入門
迷宮学入門
を読んだ。

昔、「たくさんのふしぎ」という雑誌を講読していて、
その中に「迷宮へどうぞ」というものがあったのですが、特に好きな一冊でした。

迷宮の起源は相当古く、確認できるものでは紀元前1200年ごろ
(推定では新石器時代まで)だそうですが、
迷宮は人をひきつける魔力があるようです。

迷宮というと、複雑に道が入り組んだ「迷路」を想像するかもしれませんが、
本書で引用されている定義は以下の通りです。

(1) 通路が交差しない
(2) どちらの道に行くかという選択肢がない
(3) 常に振り子状に方向転換をする
(4) 迷宮の内部空間をあますところなく通路が通っており、迷宮を歩く者は内部空間全体をあますところなく歩かなくてはならない
(5) 迷宮を歩む者は中心のそばを繰りかえし通る
(6) 通路は一本道であり、強制的に中心に通じている。したがって内部を歩く者が道に迷う可能性はない
(7) 中心から外部へ出る際、中心への通路を再び通っていくほかはない

これが迷宮の特徴であり、これを全て否定すると迷路ができます。
迷宮と迷路は類似しているどころか、対極にあると言っても過言ではないようですね。

本書では、迷宮の成り立ちから、由来、意味などの変遷を追っていきます。

迷宮が少しずつ迷路と混同され、
宗教・儀式などで使用される神聖な「迷宮」から、
娯楽に近い世俗的な「迷路」として、広く浸透していくこととなります。

しかし、迷宮の持つ意味の奥深さは、単に複雑なだけの迷路のそれよりも、
はるかに勝っているように思えます。

人はあらかじめ設定された構造が求める仕方で、中心に向かって強制的に、いやおうなく歩いていかなければならない。
(略)
人は迷宮内の道をたどりながら、そのたどるという行為がいったいどのような意味をもっているのか、という問いをつきつけられるのである。

迷宮 - Wikipediaでクノッソスの迷宮図が見れます。

オススメ度★★

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橋爪紳也 - 日本の遊園地

2006/09/03

日本の遊園地
日本の遊園地
を読んだ。

遊園地の誕生と変遷を辿ります。

そもそも、遊園地とは何なのか、ということを考えると
正確な起源を知るのは難しいようですが、18世紀ごろになるそうです。

ヨーロッパ・イギリスの貴族向けの娯楽・暇つぶし的なものですね。
美しく庭園を造って、散歩したり、劇場などを設けたりしたのが始まりのようです。

このような施設は、当然大人向けなのですが、
時代が進むにつれて、家族連れ・子供向けになっていきます。

感じたのは一施設のサイクルが短いな、ということ。
もちろんディズニーランド始め、多くの歴史ある施設もありますが、
いつの時代でも、数年で閉館というところは少なくないようです。

要するに飽きられてしまう、ということですね。
娯楽モノは常に飽きとの勝負だと思いますが、
目新しいものをやればやるほど、飽きるのも早いものです。

そんな中で、成功を見ているものの特長として、
「もう一つの世界」があります。

いわゆる「テーマパーク」になると思いますが、
単に、現実世界の中の一アトラクションではなく、
一つの世界を作り出してしまうこと、そして訪問者を
「参加者」としてその世界の一部にしてしまうこと、
これが例えば「ディズニーランド」や
「ナムコ・ナンジャタウン」の基本となっています。

この「参加者にしてしまう」という戦略は効果が高そうです。
「関係」を持たせることで、リピートにもつながります。
もちろん、参加者となってもらうには、
それなりの「世界」を提供しなければなりませんが・・・

人間、一度は「今の自分がいる世界とは別の世界もありえたのではないか」
と考えたりするものだと思いますが、そんな「別の世界」を提供するのは
一つの普遍的な欲求に対するサービスとして十分価値あるもののようです。

オススメ度★★

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