存在の恐怖
先日の哲学者の密室を読んで思った、
「ただ「ある」ことが何故恐怖なのか」について、またちょっと考えてみた。
ただ「ある」というのは、どういうことか。
それは、あらゆる事柄との関係が全く無い状態、
つまり、絶対的な孤独であるように思える。
他との関係が全く無いのだから、
孤独というよりは、無に近い。
何によって自分が自分たらしめられているのか、というと、
実は外との関係によっていることが多い。
例えば、音楽が好き、という自分は、「音楽」との関係によって成り立つ。
自分は足が速い、というのも「比較する対象」との関係によって成り立つ。
あらゆる行動や、性格のほとんどは、他者との関係による。
そうした関係が極限まで絶たれると、
まさに「存在」だけが浮き彫りになる。
しかし、その「存在」は他者との関係のうちには無いのだから、
あっても無くても同じ、「無」の「存在(ある)」であり、
それが怖いと感じるのではないだろうか。
・・うーん、なんか違いそうだな・・・
あまり怖さを感じない。
あらゆる関係が無くなっても、
相変わらず腹はへるだろうし、夜になれば眠くもなる。
それは存在そのものでも、無でもない。
もう少し考えよ。
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「有」と「無」に違いは無いのかもね。
腹は減るし、眠くもなるだろうけど。
宇宙飛行士になるために、無音で外とやりとりがまったくできない
真っ白い部屋だかに入れられて発狂しないかどうかのテストがある
らしいけど、そこにちょっとヒントがあるような気がしたり。
抽象的ですが、究極の有と究極の無においては違いはなさそうですね。
完全に有なら、無が分からないし、
完全に無なら、有が分からず。
時に、その真っ白い部屋で
突然シューっていう音が聞こえ始めたら
かなりの恐怖を覚えそうな予感・・。