知覚はおわらない アフォーダンスへの招待を読んだ。

ユーザーインターフェース(UI)について考えたいと思い、
アフォーダンスというキーワードで探した本。
ちなみにUIとは直接関係無い内容ですが、興味深い話が満載です。

基本的には過去に発表された文章を本にしたもののようですが、
対談ベースの章は読みやすく面白いものでした。

・盲目の人は世界をどのように「見て」いるのか。
・スポーツにおける「コツ」とは何か。
・「本物っぽい」演技とは。

などなど、私たちが環境としての「世界」とどう関わっているかを考えたものです。

一番面白かったのは、以下の方法による聴覚認識の発話記録でした。

一人の健常者(Aさん)が目隠しをします。
その友達がガイドとして既定のルートをナビゲートします。
ガイドは最初の一回だけルートを教えるために手を引きますが、次以降は安全のためにつきそうだけになります。
ルートは曲がり角が2箇所の単純なものです。

そして、目隠しをした人は、視覚以外を頼りにルートを探ります。
その時感じたり思ったりしたことを全て発話してもらう実験です。

このルートを何度か繰り返し通ってみるのですが、
Aさんの発話は、回数を重ねるごとに変化していきます。

まず「あー、こんな感じだった」という発見と想起があり、
やがて「ここでこういう感じ」といった確認、
そして「次でこうなるんだよな」という確信に至ります。

この実験を生まれながら盲目の人(Bさん)に行ってみたところ、
発話は単調な説明形式となります。
この方は普段、白杖を使って歩いていますので、
一度ガイドされた道を歩くのは、それほど難しくないことだからです。

ところが、この方を強制的に道に迷わせた後(つまりガイドの方について、覚えていられない程の複雑なルートを通った後)、最初にガイドされたルートを辿らせてみると、先のAさんのような発見・想起が起こります。

このことから分かるのは、「想起」は誕生するものであるということ。
そして、その想起はやがて、消えていくということ。
(Aさんの確認が確信に変わったり、
Bさんが最初は想起することなくルートを辿れたように)

ただし、Bさんの例で分かるように、想起は再び蘇ることもあります。

私たちも、初めての町に住んだ時、駅までの道を「発見」します。
次の日は、その道を歩きながら「想起」します。
やがて、その道は「確信」に至り、そのことについての意識は消えていきます。
しかし、途中新しいお店ができたり、道ができていると、再度発見し想起します。

熟練するということは、その対象についての想起の割合が減っていくということです。
そしてもし、想起が起きても正しい選択がなされます。

最後に無理やりUIの話にくくりつけるとしたら、
ユーザーがいかにすばやく「発見」できるか、
そしてそれを「確信」に変えていけるか、
に尽きるということでしょうか。

ホント無理やりですが。

オススメ度★★★