美しいものに感動する機会がもっとあってもいいんじゃないかと思って考えてみました。

特に小学校では、実学としての英会話や株式投資やパソコンなんて教えていないで、美しいものを感じる心を育てることが必要だと思います。

もしかすると「好きなこと」ではなく、「美しいと思うもの」を職業に選ぶとうまくいくのではないかと思ったからです。

例えば、

一面に広がる小麦畑が何よりも美しいと感じたら、小麦農家。

株価チャートがこの世の美の極みだと思ったら、証券アナリストやトレーダー。

非の打ち所の無い論法こそ、と思ったら弁護士。

E=mc2で卒倒しそうになったら数学・物理学者・・・

などなど。

もちろん、たいていの人が思う「ああ、美しいな」程度ではなく、「こんなに美しいのに何故理解されないんだ」とか「他の人が感じている以上に美しいと思ってる」くらいが前提ですが。

私の恩師の一人は「かわいいものは所有したくなる。美しいものは生み出したくなる」とおっしゃっていました。
かわいいものは所有できれば満足なのですが、美しいものは生み出せないと満足いかないということです。

単に「好き」というのでは「かわいい」と感情的に同レベルであり、どんなに好きなものでも所有できてしまうと、そこで終わってしまいます。

しかし、「美しい」は生み出さなくては満足できませんので、なんとか生み出そうとします。
しかし、大抵はうまくいきません。
小麦は枯れるし、株は大損。口げんかにも勝てないし、ピタゴラスの定理も証明できないかもしれません。
それでも、美を感じる心がある限り、生み出したいという欲求は持続し、何度失敗しても再び挑戦できます。

そして、この生み出したいという欲求は、美を感じる感性が強ければ強いほど、高まっていくのではないかと思います。
およそ一流と呼ばれる人は、この美的感性が鋭く、強いのではないでしょうか。
つまり美を感じる心があればこそ、常に向上心を持つことができ、とんでもない偉業を成し遂げることができるのではないかと思うのです。

好きなことは仕事ではなく趣味にしろ、というのは正しいのかもしれません。
趣味は所有・習得してニコニコしていれば良いですが、仕事には向上心が必要です。

* * *

そういうわけで、学校では是非、美を中心に授業をしてみたらどうかと思います。
もちろん、毎日美術の時間を設けて、絵画を鑑賞させろ、というのではありません。
あらゆる教科で、その美しさを説くのです。

例えば、嫌われる傾向にある数学や物理などは、特に美しさを説くべきだと思いますし、また説きやすい教科だと思います。
「数学とか、+-×÷だけありゃ、実際困らなくね?」とよく言われますが、これは数学で美しさが教えられていない証拠です。

問題集も、ただパターンを暗記するためのものではなくて、その美しさを実感できるものであるべきです。

もちろん、それでも皆が同じように数学が美しいと思えるわけではありません。それは当然です。
だから全ての教科で行う必要があると思うのです。
もし、義務教育を終えた段階で、美しいと思えるものが無かったら、無理に普通科高校に進学するのではなく、別の道へ美を求めても良いと思います。

さらに付加価値として、このように美しいものに対する感性が鋭くなっていると、社会全体がより良いものになると思います。
例えば、ゴミやタバコのポイ捨ては減るでしょうし、人を騙すような犯罪も減りそうです。
(まあ、この辺は道徳教育の役割も大きいでしょう・・)

いずれにしろ、美に対する感性を磨くのは自分の人生にとってプラスになるのは間違いないと思います。