以前、「あまり本を読まないという学生に本を紹介する」という番組を見ましたが、その学生の一人に本のあらすじを紹介したところ、
「(本の主人公は)なぜ、そんなことをしたの?」
「どうしてそうなの?」
という質問をしていました。

疑問を立てることは重要なことですが、その解をすぐ求めようとするのは、現代教育の悪しき成果なのかもしれません。

大学入試でも、ほとんどマークシートだったりするところもあります。
既に答えが示されていて「この中から選びなさい」ということです。

つまり、答えはそこにあるものだと思っているので、
(紹介する人がいれば、その人は当然答えを知っているのだろうと思い)
「どうして?」と聞いてしまう。

「考える」という過程が無いか、短いように思えるのです。

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おおげさかもしれませんが、人間、何をさぼっても、決してさぼってはならないのは「考える」ことだと思います。

考えることは疲れます。

言葉には出さなくても、それをしゃべるのと同じくらいの労力が必要なのではないかと思うほどです。

まして、考えることに終着点はありませんので、続けようと思えば、いくらでも続けられます。

それでも、誰もいない部屋で一人延々と考えることは、必要なことだと思うのです。

考えることに対して忍耐力が無いと、即座に判断しかねる問題に直面したとき、恐らく誰かに決めてほしくなります。

面倒なことは、白か黒かで提示してほしいと思うようになります。

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改革を続けるのか続けないのか、郵政民営化するのかしないのか。
問題を単純化して訴えた自民党は圧勝しました。

別に自民党を批判するつもりはありません。
見事な戦略です。

ただ、投票した人が、自民党に票を入れた際、それは考えたうえでのことなのか、
それとも、考えることを怠け、提示された二択から選択したのか。
それが重要な所だと思います。

その「考える」ために有用なのが本だと思いますが、そもそも考えることを知らないか、苦痛な人にとって、本に興味を示さないのは当然かもしれません。

「考える」を前提として持っていないと、ちょっとでも抽象的な表現や、寓話が出てくると「わけわかんない」になってしまいます。

しかし、「わけわかんない」のは恐らく全ての人がそうなのだと思います。
時には作者でさえもそうだったりするかもしれません。
その先はもう、考えるか考えないかしかないと思います。

考えた結果が正しいとか、間違っているとか、そんなのは必要ありません。

後になって、あの時の考えは正しかったとか、やっぱり間違いだったかも、と思うことはありますが、いずれにしろ「考える」力は確実についていくと思います。