11/13に放映された「終わらない人 宮崎駿」を見た。

内容的には、長編引退宣言からの宮崎駿を追うもので、まあ想像通り創作は続けてるっていうのを再確認し、うんうんそうだよね、とニヤニヤして終了。

だったのだけれども、一点、AIとCGに関するシーンのことで、モヤモヤしたので、一応自分なりの整理をつけようかなというメモ。

詳しくは割愛するけど、下記が監督・川上氏の関係含めて、いい感じにざっくりまとまっている。
宮崎駿監督、ドワンゴ川上量生に激怒「生命に対する侮辱」

あとたぶん川上氏の匿名ダイアリー。
めっちゃ怒られているのがテレビで放送されてしまった

正直、両氏を直接知ってるわけでも詳しくもないので、以下、妄想に近いです。
(セリフとかは、なんとなく覚えいるものなので、厳密には違うかも)

■不用意さ

一応、IT業界の末席にいる者として、川上氏の意図するところは汲めていると思ってる。

今CGの世界でもAIが導入され始めている。
これはAIが学習し、描き出すという意味で、これまでとは次元の違う段階に入った。
それはまだ実用段階ではないけれども、その可能性、その萌芽を監督にも肌で感じて欲しい、あるいは刺激・インスピレーションの一助になれば、ということだったと思う。

鈴木Pは実務の人らしく、ゴールを問うていたが、(それに対し絵を描く機械とか言ってたけど)実際にはAIが作り出すものの面白さ、その可能性の地平を押し広げてみている段階だなのではないか。

ここで言う「AIの面白さ」というのは、動きそのものというより「人が思いもよらなかった動きを作り出せる」ことにあるのだと思う。
人はこういうふうに移動するものだ、という固定観念を壊してくれるので面白いですよね、という話で、例えば身体障害者を想起させる動作を指して面白がるものではない。

んでもって、IT系というか、理系というか、そっち方面では、こういうドライな話はわりとまかり通る。

数値とか、統計とか、形而上学的なこと、論理学的なことを常日頃考えていて、物事をどこか現実と切り離して考えてしまうクセがあったりするのだ。

感情に結びつけると、冷静な分析ができない、という意識もあるかもしれない。

ただ、今回のプレゼン相手は同業者ではないし、世代も違う。
理屈よりも感性が研ぎ澄まされている人だし、スクリーンに映し出されたものが全ての人だ。

そこでなぜグロテスクな人型を用いてしまったのかは本当に謎すぎる。
まして、痛覚も無いだとか、頭が大事とか考えてない、などと解説するのは、もう輪をかけて誤解してくださいと言っているようなもので、本当に不用意だと思った。

軽くCG周りの最新事情を紹介する程度、と思っていて深く考えなかったのかもしれない。

ただ、ことアニメ・CGという専門分野で、監督は常に超本気なのだ。

完全に宮崎駿という人を見誤った、ということなんだと思う。

■生命に対する侮辱

AIによる生体実験は生命に対する侮辱であるか。
問い自体は、非常に哲学的・倫理的な問題で、これについては置いておく。

が、監督には、侮辱であると感じられたであろうし、そう断じてもいいような気がした。

Wikipediaのアニメーションの項目には

animation(アニメーション)は、ラテン語で霊魂を意味するanima(アニマ)に由来しており、生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する

とある。

アニメーターという仕事は、命を吹き込む仕事である。

そんな仕事に人生の大半をかけてきた。

生けとし生けるものを観察するほどに、生命の神秘、あるいは畏敬の念を感じただろう。

インターネットや資料で手に入るものは情報でもなんでもない、現実に見て、触れて、五感で感じたものでないと「インプット」ではないし、アウトプットもできない。

現実とリンクしたインプットとアウトプットを繰り返して、少なくともこの世は生きるに値するものなんだ、ということを伝えるために制作に打ち込んできた。

自然界へのロケを行い、自然とは何か、命とは何か、動きとは何か、アニメートとは・・
何十年もただひたすら、それを追求してきた。

そんな人にあの映像を見せたら・・

(錬金術師がホムンクルスの生成に失敗したようなもの出して)
今、CGもAIでー、機械が自動学習でこんな動きさせるんすよー、アニメってこんな感じっしょ、へへん。

と言われたように思われても仕方がないんじゃないのか。

うむ、これは控えめに言って侮辱である・・

生涯を懸けた仕事に対する、アニメーターに対する、ひいては生に対する侮辱ではないか!

(勝手に沸点に達する音)

■なぜこのシーンを採用したのか
そもそも、いろんな誤解を生みやすそうなこのシーンをなぜサクッと入れてきたのか。

どうも、番組制作サイドの強い要望だったようだ。

匿名ダイアリーでは「あんな美味しい映像をAさんが使いたいと思うのは当然だよなと思えた」と書かれているけど、単に「美味しい」からなのか。

個人的に、本当に入れたかったのは、監督の「人間が自信をなくしてる」というセリフだったんじゃないかな、と思っている。

CGのインパクトが強すぎて、さらっと流れていったけど、これはAIに対する鋭い指摘だと思った。
もしかすると今回の番組で最も重要な指摘だったかもしれない。

で、この短い言葉を入れるには、どうしてもAIによるCGというくだりがいる。

そうであれば、いろいろ納得。

(そうでなければいやな制作だ・・)

■AI

(AIが台頭することに対して)人間の方が自信を無くしてる

さっきも書いたようにAIについて、そういう視点は持ってなかったので、衝撃だった。

(こういう視点を持てないと世に問う作品なんぞ作れないのだ・・)

個人的にAIに対しては、人間の限界というよりも、新たな可能性という視点を持っていたし、AIに携わる多くの人がそうだと思う。

コミュニケーション、自動運転、医療診断、エンターテインメント、そういった分野のAIは今後さらに拡大し、多大な恩恵があるだろう。

ただそれらの発展は、人間が無意識のうちに限界を感じ、自信を無くした結果かもしれない。

そしてAIの進化は、人間の限界を(人間が自ら無意識のうちに)より低いところへ押し下げるかもしれない。

AIに対して感じる、そこはかとない恐怖って、AIの暴走とか直接的なものだと思ってたけど、自分たちの能力や可能性を狭め続けていくかもしれないという間接的なものもあるんじゃないか、って思い始めた。